トリしらべぇ。

いろんなところにアンテナを張って、情報の風をキャッチします。

vol.84 「居るつら、レンタルさん、中動態、私はなにも悪くない」

どーもこんにちは。

 

備忘録的に読書記録載せときます。

東畑開人著『居るのはつらいよ ケアとセラピーの覚書』(医学書院)

東畑開人著『野の医者は笑う 心の治療とは何か?』(誠信書房

レンタルなんもしない人著『レンタルなんもしない人のなんもしなかった話』(晶文社

國分功一郎著『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学書院)

小林エリコ著『わたしはなにも悪くない』(晶文社

 

twitterで流れてくるタイムラインをぼんやり眺めている時に『居るのはつらいよ』(以下略:イルツラ)の紹介を知ったのを皮切りに、以上の順で読み進めました。

 

「イルツラ」は沖縄の精神科デイケア臨床心理士として働くことになった筆者が日々を物語的に綴りつつ、「ケアとは何か」「セラピーとは何か」書いています。時折引用される社会学や哲学、心理学などの書籍から考えるヒントを紡ぎ出し、そこで起きていることを分かりやすく書いている本でした。またここで書かれていることは精神科のデイケアやそれ以外の福祉関係だけでなく、けっこういろんなところ、それこそ日常的に僕らが体験していることにも関係してくる「ただ、居る、だけ」にまつわることなので、読みながら自身の体験と照らし合わせることがしやすいです。

 

その後の著者の活動が気になって『野の医者は笑う』を読みました。ヒーラーやスピリチュアルといった「怪しい」世界に入っていきます。著者が次第に「ヒーリング中毒」になりながら次々と癒しの世界を体験する様子を著者自身が解説しながら、俯瞰的に癒しの世界が時代や文化、マーケティング的な発想などの影響を受けながら姿かたちを変えている様子を説明し、体験と知識をリンクさせています。独特のユーモアとテンションで語られるその内容にページをめくるのが止められない「続きが気になって仕方がない」気分にさせられます。

 

レンタルなんもしない人は、東畑さんと対談イベントをやったということを知って、どんなことやった人なんだろ?ということで読みました。淡々と書いてある利用者の利用に至る経緯や何もしない人の感想を読んでいると、いろんな事情や背景があるんだなーというのが分かります。また利用にあたっては何もしない人が依頼を引き受けるか判断するし、SNSを通しての活動なので「問題化」もあったりで、まとめサイトで出来事は分かるので、その辺も参照してみると良いかと思います。

 

國分さんの『中動態の世界』は、「イルツラ」同様、「シリーズ ケアをひらく」の中の1冊なのですが、哲学や言語学の話が出てきます。「中動態」がどのように「ケア」に関わってくるのかは「イルツラ」などの文中に出てくるし、他にも色んな読み物にも関連したものがあるでしょうから、参照してから読むのが良いかと思います。僕は「イルツラ」を読んだ後、そのまま分からないなりに読みました。なので内容云々というよりぼんやり感想になってしまいます。何となくジェットコースター的に進んだ感じでした。言語の歴史の中で繰り返し繰り返し、石の隙間を通って出てくる水のように、あるいは細胞間から染み出てくる浸出液のように「中動態」と呼ばれる概念が出てくるようでした。

 

なんで読んだんだろう?

「する/される(能動/受動)」や、「意志」といった言葉では表現しきれない何かを、語るための言葉を探すため?うーん気になる。

文法の記述を読んでいる時に、通っていた英語塾の先生が何度も何度も細かく細かく分解して説明していた講義の内容を思い出しながら読んでいました。分からなかったことがたくさんあるので、何度も読むことになりそうです。

中動態的文法で言うと「私はコーヒーが好きだ」が「私にコーヒーが好きということが(私に)生じる」とかですかね??何となくしっくりくるような気もします。

 

最後、小林エリコさんの「わたしはなにも悪くない」です。様々な苦労の末、自殺未遂をして精神病院の閉鎖病棟に入院した当事者が過去を振り返り、どのようにサバイブして来たのか、その時の様子を書いています。「社会の周辺に追いやられている人たちの現状は昔とあまりかわっていない」という言葉には社会に対して暗澹としてしまうが、それでも著者の「私はやっと人生の問いに答えることができた」という言葉には、その言葉が持つほのかな温かみを感じます。

 

今日はこの辺で。