トリしらべぇ。

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vol.91 コーヒーとケアのためのメモ その3

前回までは簡単な標語のようなものを考えていたけれど、そもそも「コーヒーとケア」の「ケア」ってどういうものがあるのだろうか?

 

ケアってなんだ?

 

簡単にいうと「コーヒーに(私が)癒されたい」ということだと思う。

 

それって具体的に何をしたらいいの?

 

いくつか考えてみよう。

 

例えばコーヒーを飲む。

これはコーヒーを飲んで香りや味を感じる。

 

コーヒーを淹れるのはどうだろう。

コーヒーを自分の手で淹れる。粉が膨らんだり(膨らまなかったり)、お湯がコーヒーの色になってポタポタと下に落ちてツーっと溜まってくる。

 

コーヒー豆を焙煎するのは?

コーヒー豆が飲めるようになるまでに変化する豆の様子を観察して、段々香りがしてくる。豆のシャカシャカという音が聞こえる。パチパチと音がする。

 

簡単に挙げてみた。

 

あれ?これってケアは関係ないんじゃないの?

だってさっき挙げたのはコーヒーのことでしょう?

 

じゃあなんで「癒される」の?

 

「癒される」ってどういうことだろう?

 

もう少し考えてみよう

 

僕は心が満たされると「癒された」と感じることがある。

 

だから「癒される」というのは僕の心のことだ。

 

コーヒーとケアには心が関わってくる。

 

コーヒーを飲む、淹れる、焙煎する時、僕の心が満たされる。

 

香りや味を感じ、お湯がしたたり落ちるのを見たとき、焙煎の音が聞こえるとき、僕の体を通して心が満たされる。

 

心が満たされたときに僕は「癒された」と感じる。

 

「癒される」と苦しみや悲しみ、疲れを和らげたり、感情を穏やかにして安心を感じて、くつろいだ状態になる。

 

ホッとする。

 

だから、コーヒーによって僕はケアされることができる。

 

どうだろう?おかしなことを言っていないかドキドキしてきた。

 

とりあえずコーヒーを飲もう。