vol.55 熊野・高野山巡り(その6 湯の峰温泉~高野山~帰宅)
こんにちは。
長々と書いてきた旅行記も今回で終わりです。
夕方、熊野本宮を後にして湯の峰温泉に着きました。
この日泊るのは民宿「あずまや荘」です。
着いてしばらく休んでからお風呂に入って、18時30分には晩ご飯を食べました。
旅館の「あずまや」のお風呂も入れるとのことでしたが、疲れていたため、出歩くことはせず、この日は晩ご飯を食べ終えてとっとと寝てしまいました。
翌日は準備を済ませ、7時30分に朝食、8時29分のバスに間に合わせます。
出る時に民宿の人が、「いつもはこっちの方が大雨で土砂崩れで通行止めが多いのに、今回はこっちが晴れて、普段あまり降らないようなところが大雨になった」
と言っていました。もし雨雲がこっちに逸れていたらと思うと、少し怖くなりました。
バスに乗って目指すは高野山。今回、もし行けたら小辺路ルートも走破したかったですが、連日予定より時間が遅くなっていたので、今回はおとなしく「聖地巡礼バス」で行くことにしました。
バスで五時間、途中、乗り換えや休憩を挟んで、昼の11時55分には高野山の千住院前(東)に着きました。金剛峯寺や大伽藍など、高野山の中心に近いバス停です。
当初は空海の眠る「奥の院」に行ってから歩いて金剛峯寺の方へ向かおうとしていたのですが、時間が押して、メインが観れなくなるのは避けたかったので、一番観たいものから順に回ることにしました。後にこの選択がちょっとしたミラクルを起こすことになります。
金剛峯寺を回った後は、「金堂」で大伽藍などを見て回りました。とにかく建物が多い。
「金堂」を見た後、けっこう良い時間になっていました。ここで「奥の院」は行こうと考えて、千住院前近くのバス停まで戻りました。
バス停まで戻るときに小雨が降り出してきました。バス停近くの軒下で雨宿りしながらバスを待っていると、夫婦とおばあちゃんの家族三人の旅行者から声をかけられました。
夫:「あのー南海鉄道で難波まで帰りますか?」
僕:「はい、帰りますよ」
夫:「良ければ、この株主優待券、今日までしか使えないので、お安くお譲りするので使ってください」
僕:「良いですよ!」
ということで、南海鉄道の株主優待券(カード)を割安でゲットしました(笑)。
難波までは通常だと1,400円くらい?掛かります。旦那さんは半額の700円でと言ったのですが、お釣りのやり取りをするのもせせこましいので、1000円でいただきました。
ちなみにカードにはパンチで使った人数分の穴が開けられていて、あと三人分使えるとのこと。どうやらその家族も大雨の影響で日程がずれ込んでしまい、使えなくなるはずのところに、僕がいた、という話でした。
夫:「帰りに二人組の人でも見つけてください(笑)」
僕「はい(笑)」
時間も遅く、帰る人達とは反対のバスだったので、いないかもなと思いつつ、了承しました。
「奥の院」に着いたのは16時に近くなっていました。
全部回って17時になったので、この日観れるものは閉まる時間です。
つまり時間切れ、残念ながら徳川家霊台や女人堂はまた今度観ることにします。
さて、高野山駅にバスで着いて、二人組がいないか探しているとどうやら高野山でバイトをしているらしい二人連れを発見、株主優待を使い切ることができました。
帰りしな、先ほどの二人連れの一人から「働いてる所で売ってるのの余りなんですが、良ければ食べてください」
と言ってお餅をいただきました。
わらしべ長者か(笑)
帰りは新大阪で新幹線を、これまた時間ぎりぎりで手配して、山を降りたので肉っ気の多い駅弁を買って食べながら、その日の内にお家に帰りましたとさ。
今回の旅で印象に残ったのは、空気がおいしくて、いろんな植物のアロマが漂っているので、うっすら甘く感じるほどでした。
コーヒーのアロマみたい、と思うくらいです。植物の香気はスゴイですね。
仙人は霞を食って生きると言いますが、奥深い森の空気はおいしいので、それも納得できる設定と言えます。
あと、人って疲れるとけっこう食欲が落ちるんだなと、自分でもびっくりしました。
おかげで良い運動になりました。
あとは、ちょっとした旅の出会いが面白くて、一人旅ならではの気軽さもあるんだなと思いました。これを機に、またいろんなところにフラフラと身軽に行けるようになりたいです。
今日はこの辺で。
vol.54 熊野・高野山巡り(その5 中辺路ルート近露~熊野本宮)
こんにちは。
前回の続きです。
近露で一泊して明け、朝の五時半に起きて朝食を済ませると、おっちゃんがまたひょっこり顔を出して紙を見せてくれました。
継桜の手前で「野中の清水」という水分補給ポイントがあること、安倍清明が腰掛けた石がある場所などを記した地図で、時間のロスがなく迷わずいけるよう教えてくれました。
さて、ご飯も食べて準備もバッチリ、6時15分になって出発の時間です。
行く時におっちゃんから「発心門王子と伏拝王子、それと熊野本宮を出る時に、特別なお参りの仕方があるから教える」ということで、神域に入るときの「今日着きました」とか「よろしくお願いします」や「ありがとうございました」的な礼の仕方を教わりました。
普通の二礼二拍手一礼とは違って、拍手する前の手を頭の横に広げながら四回、「今日着きました」とか唱えながら最後に1拍手するというやり方ですが、何の流派なんでしょう?知りませんでした。古式か、ひょっとしたら大本教(近露は大本教と縁が深い)のお参りの仕方かもしれないなと考えながら、何となく聞かずにいました。
おっちゃんとおばちゃんにお礼を言い、名残おしさもあるけれど出発します。
歩いてしばらくして近露の小中学校近くに神社があるのですが、ここは単に地元の神社で、直接は関係ないです。うっかりルートと思ってその奥を調べて、さっそく時間のロスをしてしまいました(笑)
その後も舗装道路で微妙に二手に分かれていて、進んだら「ただの民家に繋がる私道だった」とかありました…。
近露以降の道では、「ここは熊野古道ではありません」の看板も気持ち距離を置いて設置されているようで、それまでよりやや分かりにくい分岐があったりします。
こういうところで地味に2,30分と時間を削られて、最終地点への到着が押してしまうので、要注意です。
そんなこんなで、「野中の清水」で喉を潤し給水して継桜に着いた頃には8時50分。
丁度、お茶屋の休憩所があり、そこのおばちゃんに継桜はどこか尋ねるとすぐ近くだとおしえてくれたのですが…問題はその後「その先にも広場があるよ、ちょっと歩くけど」という助言でした。
後で考えると、そこに何があるのかはっきり聞いておけばよかったのですが、その時なぜか僕は「ひょっとしたらそこに史跡か何かあるのかな?」と勘違いして継桜王子の奥「JTみんなの森」みたいな名前の看板の先を登ること10分弱。
着いた先は、「企業の保有林」でした…な、何もねぇー!!!!(血涙)
強いて言うなら「ホープ誕生60周年記念植樹」とか、切り株とかはありましたよ(笑)
みなさん、継桜王子、神社の奥には史跡とかは何もありません!!!!超注意です!(笑)
僕はここで2,30分ロスしました…。その後、茶屋のおっちゃんと話してると「ここから本宮?7時間はかかるよ」「バス?あー9時のバスが今しがた出ちゃったなー」とか呑気に言われて、2重3重にパンチくらいました(笑)
この時点で9時15分、途中バス停のある「発心門王子」まででも5時間はかかるようです。地図に所用時間も記されていたのですが、キチンと一つずつ拾ってメモなりして合計時間を出していなかったのがアダとなりました。このままでは16時に着くことになってしまう=神社の参拝時間が短くなってしまいます。
次のバスが来るのはなんと11時台…何よりバスで飛ばしてしまう区間にスタンプラリーのスポットもありました。
僕はここで賭けに出ました。熊野本宮までの道を大雑把に3つの区間に分けて、それぞれ30分くらいずつ短縮できれば、15時、遅くとも30分には着くかもしれない。
まぁ、これも甘い計算だったのですが、さっそく継桜からダッシュしました(笑)。
幸い、「熊瀬川王子」までは舗装道路の区間があったため、15分くらい短縮できました。
「これはイケるかも!?」と思ったのもつかの間、そこから先の迂回路のルートは、一番初めの「滝尻王子」に次いで登り坂の続く峠道でした。とにかく急がなければと相当無茶なペースで坂を登っていたのですが、これがまた坂の終わりが見えてこない!(笑)
時間もお昼に近くなっていたので日差しもけっこうきつかったです。
ようやく登り終えたと思ったら、今度は下り、しかも石段や木の根っこ、道幅の狭いところなど、ペースを上げにくい区間が続きます。
でも、途中に舗装道路もあったおかげで、迂回ルートをなんとか1時間で進めました。
ここまでは本当に見事に峠道でほとんどペースを上げることができませんでした。
ようやく熊野本宮の入口「発心門王子」です。ここから2時間30から3時間ほどで本宮に着きます。時刻は13時30分、イケる!ここまで、地味に普通の舗装道路とかあったので変わり映えしなかったりで、古道的な面白みに欠けるところもけっこうあったので、それも疲労の一要因になっていたと思います(笑)
スタンプラリーがなければ、僕もバスでここまで来ていたかもしれません(笑)
ここからはダイジェストでお送りいたします(笑)
そして、ついに!
時刻は15時45分。感想は「ま、間に合った」でした(笑)
最後のスタンプラリーも押して、御朱印もゲットしました、大満足。
その後は大湯ノ原も参拝
その他、近くの末社もお参りして、何とか16時45分発の「湯の峰」行きのバスに乗れました。本当に間に合って良かった(笑)
九鬼ヶ口門から少し先の道で知り合った、カリフォルニアから来た旅行者とバスの中で話しました。彼女はスペインの方の巡礼道も行ったことがあるそうで、いろいろと熊野古道との違いなどを教えてくれました。是非行ってみたいです。
そんなこんなで中辺路の二日目はトレイル・ランみたいなことになってしまいましたが、道を間違えたりしなければ、15時~15時半には普通のペースで着けたと思います。
今回は、たまたま天気も良かったですが、雨の中だともっと遅れていたことを考えると、初心者にしては運が良かったおかげで何とかなったんだなと思います。
普通の舗装道路もあったので走ることが出来ましたが、登山道なら絶対に遅れていたと思います。
みなさんもトレイルや登山の旅程はきっちり計画的に!
長くなりましたが、今日はこの辺で。
vol.53 熊野・高野山巡り(その4 中辺路ルート滝尻~近露間)
こんにちは。
前回からの続きです。
紀伊田辺駅のビジネスホテルに泊りました。素泊まりのはずが、夜はなぜか茹で卵とおにぎり1個付きました(笑)
それを食べながらテレビのサッカーワールドカップをぼんやり眺めながら寝ました。
さて、明けて二日目。
6時25分のバスに乗って、この日のスタート地点、滝尻のバス停に7時04分に着きました。
前日の雨で地面が悪くなっているだろうと考え、お土産物屋で杖を購入、25分に滝尻王子を出発しました。結果から言うと、地面の状況関係なく杖はあった方がいいです。
というのも、熊野古道の中辺路ルートは、最初の滝尻王子が少し急な登りになっていたり、途中も天気に関係なく近くに川があって、その水気で濡れているようなところもあるので、あった方が疲れにくいし安全です。あとクモの巣払いにも使えたり。
まさに転ばぬ先の杖。
そして今回は妙にスタンプを押したくなったので、”dual pilgrims”(2つの道の巡礼者)のキャンペーンのスタンプラリーをすることにしました。2つの内1つは熊野古道のいくつかのルートやスポット、もう一つはスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラです。熊野の方は、比較的短い時間(徒歩以外の交通手段)で済むような条件もあるのですが、サンティアゴ・デ・コンポステーラは「徒歩、または馬で少なくとも最後の100km以上を巡礼する」とか「自転車で少なくとも最後の200km以上を巡礼する」とか、やたら距離が長そうです(笑)
機会があったらスペインに行って条件を満たして、記念バッジをゲットしたいです。
熊野古道に話を戻します。
最初の方はですね、旅の高揚感で写真撮りまくってたんですよね、「あ、きのこ!」とか「デカイ杉の根っこ!」とかですね。それでも何とか予定時間内に進行はしていたんです。
で、お昼前に予定通り「高原霧の里休憩所」に着いたんです。結構疲れてたのか、そこで2時間くらい寝てしまいました(笑)。
それでも、地図を見ながら、まだ余裕はあると思ってたんですが、途中の「十丈王子」でスタンプを押し忘れてたことに次のポイント「悪四朗屋敷跡」で気付いて、行って戻って2,30分ロス。
気付けば17時過ぎて「道の駅中辺路」に着きました。ここで、今日泊る地点「近露王子」にある民宿「月の家」さんに遅れる旨を電話をしました。そしたら宿のおっちゃんから、「牛馬童子(近露の一個前のスポット)には45分くらいかかるからな!」と言われました。この時点で休憩がてらアイス食べたり、腹減ってさんま寿司食べて17時30分位になってました(笑)
それでもスタンプを押したかったので「行きます!!」と言って行くことにしました。
で、最終的に着いたのが18時45分くらい。とっぷり日は暮れてました。冬場だったら完全にアウトですねー(汗)。
予定では早ければ3時には「近露王子」に着くはずが…おかしいなぁ(笑)。
それでも、宿のおばちゃんは着く時間を見計らって外で出迎えてくれました。すごく嬉しかったです。
着いて部屋に荷物を置いて、一っ風呂浴びてご飯食べました。
ご飯、美味しかったです。素朴だけど、どれも丁寧に作られていて、本当に良かったです。個人的にはアマゴの刺身、柿の天ぷらや餡子餅の天ぷらが珍しくて美味しかったです。
それと、なによりおっちゃんとおばちゃんが良い個性を出していて、好きです。
ご飯食べてるとおっちゃんがひょっこり顔を出してきて、うどん持ってきたり、塩分を取ることの大切さを教えてくれたりしました。
どうやら今日遅れたことが気になったらしく、疲れや熱中症でペースが遅れたのではないかと心配してくれていたようです。
翌日の行動予定を告げると、
「明日は五時半に飯で、6時15分には出発やな!」
と、おっちゃんに言われました(笑)
ご飯を食べて部屋に戻るとお布団が敷かれていました。
ちなみに建物が古く、エアコンは付いてますが、虫が入ってくるのはご愛敬、ということで虫よけのベープが置かれていました。羽アリとか入ってきては力尽きてました(笑)
入ってくるのは構わないんですが、何となく身体がモゾモゾする気がして中々すぐには寝られなかったです(笑)
でも、ここを選んで良かったと思いました。なにせ近露の中でも古い民宿ですからね。
そうこうしているうちに眠りました。
明日は一気に熊野本宮まで行く20km弱の道のりです。果たして間に合うのか…。
今日はこの辺で。
vol.52 熊野・高野山巡り(その3 那智エリア)
こんにちは
前回の続きです。
お参りして、戻って新宮の駅に着いた時には14時近くになっていました。新宮から電車かバスで大門坂バス停か那智駅まで行くのですが、丁度バスの時間にはまだ30分くらい時間があります。電車の方が那智に着くのは早かったので、そのまま20分くらいの便で那智駅へ。駅近くの補陀洛山寺もお参りできるかな、という腹積もりでした。
しかし、那智駅に着いたのが14時40分くらい。那智大社周辺を歩くとなると2時間半くらいかかるようです。しかもバスの便まで時間がかなりある上に、徒歩だと1時間くらいかかって那智大社の入口である大門坂に着くことになります。なので、お寺は飛ばして、かつ仕方なくタクシーに乗ることにしました…。ここで運転手さんから衝撃の事実「大雨の影響で特急とか急行はないからね!」
ガーン!この日止まる予定の紀伊田辺駅までは鈍行だと2時間30くらいかかります(笑)
さて、10分しないうちに大門坂に着いて、大きな夫婦杉を抜け、濡れた石畳に転ばないようにしながらやや急ぎめで那智大社を目指しました。相変わらず雨は降ったり止んだりしています。
ここは一番お手軽に古道っぽい道を楽しむことが出来る場所でもあります。翌日の中辺路の準備には丁度良いと思いました。
そして登ること15時20分、那智大社到着。
振り返ると、霧が山に登って行くような不思議な光景が広がっています。
いそいそと御朱印とお参りを済ませ、隣の青岸渡寺へ、外観は工事してましたが、お参りはできました。
そこから今度は下って那智の滝を目指します。途中の三重の塔を拝みつつ、16時10分、飛瀧神社のある那智の滝へと到着。
滝は、白い煙のようにフワーッと落ちているようにも見えましたが、岩に当たるとドドドドと大きな音を立てています。しかも結構高い距離から落ちている、ヒエ―。
何とかお参りと御朱印も書いてもらい、16時35分には見終わることが出来ました。
しかし、けっこう駆け足になってしまったのは反省です。
帰りはバスに乗ることにして、これまた50分くらい待って那智駅に戻りました。
さて、電車はそもそもローカル線なので、あまり便がありません。19時25分の出発まで1時間半近く時間がありました。宿のビジネスホテルは素泊まりなので、ついでに晩御飯を食べていくことにしました。それでもまだ15分くらい時間があったので、あたりはけっこうくらかったのですが、歩いて五分くらいの補打洛山寺をサッとお参りして、電車に飛び乗りました。
電車に乗ると、やはり世界遺産になっているだけあって何人かの外国の人が乗り合わせていました。
心なしか皆疲れた顔をしています。夜遅くの電車ということもあるのでしょう。
ちょうど僕の目の前にいた背の高い人に目をやると、たまたま目が合いました。
彼はこちらの服装をみて同じような旅行者だと理解したのでしょう。ニっと笑って右手の親指を立てました。
「今日は一日お疲れ様、よく頑張ったね」
そんな労いのグッジョブです。
僕も思わずフッと笑って一呼吸置いてから、「どこから来たの?」
と聞いてみました。すると彼は僕の隣に来て話始めました。
彼はベルギー人で、語学のために香港に留学しているとのことでした。香港から日本に来て、お伊勢参りをして、なんとそのまま歩いてここまで来たそうです!さすが赤い悪魔(サッカーのベルギーチームの異名)、すさまじい体力です。彼はトーマスと名乗りました。ここまでの道中の大変さ、前日の日焼けっぷり、足の腫れっぷりを写メを見せながら話してくれました。
いくつに見えるか聞かれたので「27」と応えると、なんと21でした(笑)
僕よりもずっと大人びて見えました。ちなみに香港にカワイイ彼女がいます。
彼はここに来るまでの話や香港で勉強していることをたくさん話してくれました。
それに中国語も教えてくれました、ベルギー人から英語経由で中国語を習うという、なんともシュールな展開でしたが、やはり言葉を覚えるのはいくつになっても楽しいですね。
僕に英語を教えてくれた個人塾の先生は「繰り返しは無限の喜び」という名言を事あるごとに言っていましたが、地道に基礎を反復して繰り返すことは、素朴な楽しさと、言葉が身に沁み込んで来る喜びに満ちていると思います。
トーマスくんも僕と同じ紀伊田辺で泊って、翌日はまたそこから歩いて中辺路ルートを通り、熊野本宮に着いてから、さらに小辺路ルートを走破するということでした。
ちなみに小辺路は熊野本宮~高野山間の山を2つ超えるルートで、全行程70km弱あります!つまり、彼は100km以上をほぼ徒歩で歩くということになります。
思わず「crazy!!」と言いました。
彼もそれについては「yeah」とニヤッとしてましたが。
僕は僕で、今の仕事や、コーヒーが好きなこと、神楽をやっていたことなどを話しました。
彼は日本語をちょっとだけ話してくれるんですが、「あなたは優しいですね」と言われました。前職や今の仕事の話を受けての発言でした。
話もポツポツになり始めるころに、ようやく今日の宿がある紀伊田辺駅に着きました。
時間は22時30分を回っていました。僕はバスで滝尻王子まで行くので、ここで彼とはお別れ。良い旅を!と言ってお別れしました。
もし、僕がのんびり旅をしていなければ、もし、電車が遅れていなければ、きっと彼に会うことは無かったのでしょう。2時間以上の退屈なはずの鈍行が、あんなに素敵で楽しいものになるとは思いもよらなかったです。たった一人の気ままな旅をしているからこそのかけがえのなさを、同じように一人で旅をしているトーマスくんから教わった気がします。
今日はこの辺で。
vol.51 熊野・高野山巡り(その2 速玉大社エリア)
こんにちは。
夜行バスに乗って約9時間、午前7時くらいに新宮駅近くのバス停に着きました。
着くとすぐ近くでトンビがピーヒョロロローと鳴いていました。すぐ近くが海と山なので、良い風が吹くのでしょう。
当日の天気は雨が降ったり止んだりの不思議なものでした。
予定では午前中で新宮駅周辺(速玉大社・神倉神社)を、午後には那智大社周辺を回るはずだったのですが、何しろ行ったことのない場所だったので、案の定いろんな所を見ているうちに時間が押してしまいました。
先ず行ったのは、徐福公園、昔の中国、秦から海を渡って日本に来て、そのまま日本で亡くなった人のお墓のあるところです。新宮駅からすぐ近くでバス停を降りて一番に目に付きます。お参りしてすぐ見終わりました。
次に浮島植物園に行ったのですが、時間前だったので開いておらず。
1kmちょっと先の蓬莱山という史跡と近くの阿須賀神社(あすか神社)に行ってみました。蓬莱山は標高48mという小さな山ですが、弥生~古墳時代の祭祀遺物も出土している、古くから信仰対象の場所だったようで、蓬莱山自体は今も禁足地になっています。うっそうとした森のようになっており、ちょっとゾクッとする「なんかいそう」な外観でした。ここの神社で初めて御朱印を書いてもらいました。これを集める人がいるようですね、今回、せっかくなので集めてみようと思います。
そのまま徒歩で速玉大社に向かうついでに、途中で丹鶴城公園(新宮城跡)というところがあったので、寄ってみました。城は無く、石垣のみを残しているのですが、登るとすぐ下に流れる熊野川が見えます。昔は船着き場があって、備長炭などの物資を集積して、江戸などへ出荷していた輸送拠点になっていたようです。
さて、ようやく速玉大社に着いた時点では午前9時30分、この時点ではまだ余裕です。
境内には梛(なぎ)の木があったりします。宝物殿は見ず、お参りして御朱印を書いてもらったりしても30分程度で回れます。境内の奥の方ではぶっといブロッコリーみたいな木がたくさんあります。
出たところで朝ご飯を食べてなかったので、柿の葉ずしを売っているお店があったので、入って買ってそのまま中で食べました。5個入りでサバと鮭のミックスです。
この時点で10時20分。
そこから今度は神倉神社を目指します。途中でお寺があるので見て回ったのですが、けっこうな数あります…。
そして、11時ようやく神倉神社のふもとに着きました。
ここは急な坂の石段が500段近くあるので、入り口で杖を借りて登りました。軍手も付けて、雨で石段が濡れているので慎重に、足場を見ながら登ります。
住民のおじさんが「こんな日は地元の人はあぶのうて登らんよ」と言っていました。
確かに危ないです。
20分ほどして頂上に着いて、お参りしました。大きな石がご神体。何かの拍子でこれが落ちたら大変だ。頂上からは新宮の街が一望できます。
帰りもけっこう怖いです。一歩ずつ足場を確かめながら、必要な場所では手を着いて降りました。
降り着いたのが11時50分くらい。まだ時間はあります。
ネットで調べてみると、新宮から少し離れてしまうのですが、中上健次のお墓があることに気付いてしまいました。
「中上さんは新宮の出身なんだ」
僕自身、ちょっとだけ工事現場で仕事をした時、丁度中上さんのことを知っていたので、何の気なしにお参りしようと思ったのです。中上さんは空港の工事をしながら小説を書いた人、くらいなイメージです。
しかし、これがまたけっこうな時間のロスに繋がってしまいました…。
長くなりそうなので今日はこの辺で。
vol.50 熊野・高野山参り(その1:準備編)
こんにちは。
3泊4日で熊野3山と高野山を巡ってきたのでそのことについて書いておこうと思います。ワンダーフォーゲルらしくワンゲルしてきました(笑)。
3年前くらいから、なぜか妙に熊野に行きたくなっていたのですが、ようやく今回実行することが出来ました。
もともとは大分にいた時にお神楽をしていて、伊勢神宮の2000年祭で神楽を奉納したことがあるのですが、調べてみると「伊勢参りだけじゃ片参り」とのことで、昔の人は熊野にもお参りをしに行っていたそうで、「それじゃ行かなきゃ」という流れでした。
ちなみに伊勢神宮では、奉納のお礼ということで普段は見ることのできない(もしくは祈祷料をたっぷり出せば見れるのかな?)内宮殿の奥を観ることが出来ました。
なかなか無い機会だったので良かったです。
さて、熊野・高野山巡りをするにあたって、一番苦労したのは「旅程を組んで準備をする」という部分です。実は一人で計画して一人でトレッキングをするというのが初めてで、本当に3日くらいウンウン唸りながらスケジュールを立てていました(笑)
で、立てたスケジュールは以下です。
一日目:夜行バスにて朝早く到着し、熊野速玉大社(&神倉神社)・那智大社(&那智の滝)を回り、紀伊田辺駅まで電車で行って一泊。
二日目:紀伊田辺駅からバスにて滝尻王子(熊野古道中辺路ルート)へ、そこから徒歩で近露王子へ、そこで一泊(約15km)。
三日目近露王子から一気に徒歩で熊野本宮大社(&大湯ノ原)まで。そこからバスで湯の峰へ向かい一泊(約20km)。
四日目:湯の峰からバスで高野山へ行き、そのまま電車と新幹線で帰宅。
今回は熊野三山(熊野本宮、速玉、那智)をどの順番で回るかで先ず悩みましたが、最終的に夜行バスで行くにあたり、停車駅が新宮駅ということもあり、自動的に速玉大社から回ることになりました。そして本宮は古道の終着点で翌日には高野山に行きたかったので、初日で速玉と那智大社のエリアを回る、という段取りになりました。
初日はそれほど詰め込んだ予定ではなかったのですが、問題は三日目、
歩く行程が20kmくらいあって、果たして間に合うのか心配でした。
平坦な舗装道路であれば1km約15分くらいの時間ですが、上り下りのある峠道を20kmとなると全く予測が付きませんでした。一応ネットや地図で距離と時間、ルートはチェックしていたものの、自分の体力、行ったことのない道、実際にどれくらいかかるのか、シュミレーションしつつ、あとは実際に行って歩きながら誤差を出して修正していこうと考えました。
今回の準備で一番必要だったものは、靴です。トレッキングシューズを持ってなかったので、アウトドア関連のお店に行って、店員さんとやり取りしながら「舗装道路・石・木の根っこ・砂利・水に濡れた道など、いろんな道を歩く」という条件にマッチする靴を選んでもらいました。
単純に靴底が厚い物をイメージしていたのですが、「荷物が少ないならもう少し靴底が柔らかいものの方が良い」ということで、歩幅を狭くする歩き方を教わりつつ、具合の良さそうな靴を購入しました。ついでに靴下と紙の地図と温度計付きのコンパスも。
さて、夜行バスに乗る当日ですが…計画1週間前くらいから天気予報を見ながら、台風が近づいていることもあり、「初日は雨かー」と思っていたのでレインコートとザックカバーを用意していました。
ですが、注意警報が出るほどの大雨になり、付近の県であれほどの豪雨になるとは思っていませんでした。一応、二日目には曇りのち晴れとなっていたことや、現地の宿泊先に電話で天気の状況確認をした上で、行くことを決めました。
そして、案の定パッキングで詰めこみがちになって時間が押すパターン(笑)
軍手も忘れず買って電車で、新宿のバスターミナルまで。
何とか5分前には着いて無事乗ることが出来ました、危うし。
夜行バスに乗るのも初めてだったのですが、三列シートでスペースは確保されています。が、高揚感もあるのと、決して寝やすいわけではないので、やはりあまり寝られなかったですね。幸い、一日目は時間に余裕のある予定を組んでいたので、のんびり行こうと思いつつ、バスに揺られてウトウトしながら新宮駅を目指すのでした。
今日はこの辺で。
vol.49 「毎日がアルツハイマー」
こんにちは。
今日はドキュメンタリー映画「毎日がアルツハイマー」を観たのでその感想を書いていこうと思います。
今回は田端にあるCinema Chupki(シネマ・チュプキ)さんで観ました。
丁度14日から「毎日がアルツハイマー・ザ・ファイナル」が上映されるので、それに合わせて1と2を同時上映していました。
映画館というと大きな箱を想像しがちですが、チュプキさんは固定座席15席、車イス席3席、補助席を出しての最大25席というミニシアターです。ですが、日本初のバリアフリー映画館であり、ユニバーサル・シアターということで視覚障害や聴覚障害のある方にも映画を観たり、聴いたりできるような設備とサービスを備えています。(一部引用wikipediaさんより)
丁度おなかが空いていたので、「近くにパン屋さんはありますか?」と聞いたところ、「サンドイッチ屋さんがあります」ということで行きました。FILL'S(フィルズ)というサンドイッチ屋さんで、旨そうなサンドイッチが並んでありました。ここは17日にリニューアルしてもっと美味しくなるようなので楽しみです。ちなみにチキンカツサンド食べました。食べ応えのあるサイズでおいしかったです。
さて、映画の感想です。
1と2を30分の休憩を挟んで観たのですが、1は93分、2は50分だったので、ダレることなく観れて良かったです。扱っているテーマから重い内容だと思われる方もいそうですが、実際はパッケージデザインのように基本的に明るいトーンで描かれているので思わずこちらも笑うような場面も出てきます。
1は監督の母親が認知症と診断されてからの話、2は老人精神医学のイギリスのヒューゴ先生に監督が会いに行き、それを実践するケア施設を訪れる話がメインになっています。
映画ではPCC(パーソン・センタード・ケア)という概念が出てきます。この考えを提唱したキッドウッド教授によると、「認知症を持つ人々の行動や状態は、認知症の原因となる疾患のみに影響されているのではなく、その他の要因との相互作用である」(引用:毎日がアルツハイマー・ザ・ファイナルのHPより)とのことで、重要とされる5つのアプローチが登場します。
1、脳の認知障害
2、健康状態
3、個人史
4、性格
5、社会心理学
PCCではこれら「全ての」アプローチを行う、ということでした。認知症といっても人によって本当に違いますし、状態の変化も日々変わってくるわけで、そうした「予測不可能」な中で、ひとつひとつ「探偵のように」どうしたら良いかを考え、実践する、ということでした。
映画内で印象的だったのが、「常識的な対応をすれば誰にでもできるというものではなく、実際には高度なスキルを必要とする仕事」だとイギリスのケア施設の看護師が話をしていたことです。
それと「虐待」は、最初から悪い人がするものではなく、普通の人が癇癪を起し、耐えきれなくなってある日怒りを爆発させ、その先に虐待が起こる、という話も耳に残っています。だからこそ、介護をする人もケアが必要なんですね。
この辺は介護の資格を取る時や研修でも折に触れて出てくるところです。
なぜ僕がこれを観たかというと、今現在、仕事として介護士をしているからです。
その前職は「ツリー&ツリー本郷真砂」で学童保育兼カフェスタッフ(過去記事にその時の様子がありますが、ほとんどコーヒー紹介してます笑)だったのですが、地域のいろいろな人が来れる場所として機能していたので、ちょうどそこに近くの小規模多機能施設「ユアハウス弥生」からお年寄りの方も来ていて、何度か接しているうちに「そう言えば、僕は介護的な知識も技術もないな」と思ったことがきっかけです。
そこの小規模多機能を運営しているところで、介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)という、介護の一番窓口になっている資格を取り、いろいろな施設を観ながら、「終の住処」と呼ばれる特別養護老人ホームで働くことを決めました。終の住処というものの、ターミナル(終末期)の方は多くはなく、いわゆる要介護度や認知症の度合いの進んだ利用者さんが生活する場所、です。
といってもキャリアとしては1年ちょいの浅いものですが、上司からの評価としては「接遇は良い」という評価をいただいています。あとは同僚からは夜勤のときに僕と一緒になると、「比較的利用者が落ち着いて寝ている」ということも言われました。
普段キャラが薄いのと、あまり余計な気配を立てないようにけっこう気を遣っていることの結果、ということにしておきます(笑)
最初は時間に追われることも多かったのですが、その辺も何とか慣れてきました。が、この辺の見通しの甘さはまだまだあると思います。段取りと手際の良い人は本当に仕事が丁寧で、早いです。
あと、僕なりに一番注意を払っているのが、不穏になった方、もしくはなりやすい方への接し方です。不穏になること自体は問題ではないのですが、その後の生活に影響が多少は出てくることを考えると、できるだけ落ち着いて過ごしてもらえるように接したいものです。そういう時、僕はかなり集中した感覚で繊細に利用者さんの様子や言葉を感じながら、やり取りをしています。結果から言うと上手く行く時もあれば、行かない時もあります。
けっこうMPを消費して疲れますが、できるだけメンタルケア的な部分は丁寧にやっていきたいです。僕の場合、恐らく生きていく中である種の観察力に優れている節があり、そうした部分が、学童保育の時にも活きたことで気付いた部分です。それと比較的語彙が豊富なので、比較的年齢の区別なくコミュニケーションを取ることができたことも役に立っています。ほとんど無意識に、心理学でいうところのミラーリングとかやっていたみたいです。なんだか末っ子ここにあり、みたいな感じがしますが…。
もっとも、誰とでもスムーズにできるわけではなくて、相性的に苦手な人ももちろんいまし、利用者さんのその時の状態によってはキツイときもあるので、決して万能な能力というわけでもないようです、残念。
と、いう感じで日々四苦八苦しながら、周りの人たちに助けられながら、どうにかこうにかお仕事しています。
14日からのザ・ファイナルを楽しみにしつつ、24日にヒューゴ先生の来日トークイベントがあるので、行ってきます。映画より先に予約しちゃいました(笑)
今日はこの辺で。