トリしらべぇ。

いろんなところにアンテナを張って、情報の風をキャッチします。

vol.50 熊野・高野山参り(その1:準備編)

f:id:wondervogel:20180713203838j:plain

新宿バスターミナルから見える夜雨の風景

こんにちは。

 

3泊4日で熊野3山と高野山を巡ってきたのでそのことについて書いておこうと思います。ワンダーフォーゲルらしくワンゲルしてきました(笑)。

 

3年前くらいから、なぜか妙に熊野に行きたくなっていたのですが、ようやく今回実行することが出来ました。

 

もともとは大分にいた時にお神楽をしていて、伊勢神宮の2000年祭で神楽を奉納したことがあるのですが、調べてみると「伊勢参りだけじゃ片参り」とのことで、昔の人は熊野にもお参りをしに行っていたそうで、「それじゃ行かなきゃ」という流れでした。

 

ちなみに伊勢神宮では、奉納のお礼ということで普段は見ることのできない(もしくは祈祷料をたっぷり出せば見れるのかな?)内宮殿の奥を観ることが出来ました。

なかなか無い機会だったので良かったです。

 

さて、熊野・高野山巡りをするにあたって、一番苦労したのは「旅程を組んで準備をする」という部分です。実は一人で計画して一人でトレッキングをするというのが初めてで、本当に3日くらいウンウン唸りながらスケジュールを立てていました(笑)

 

で、立てたスケジュールは以下です。

 

一日目:夜行バスにて朝早く到着し、熊野速玉大社(&神倉神社)・那智大社(&那智の滝)を回り、紀伊田辺駅まで電車で行って一泊。

二日目:紀伊田辺駅からバスにて滝尻王子(熊野古道中辺路ルート)へ、そこから徒歩で近露王子へ、そこで一泊(約15km)。

三日目近露王子から一気に徒歩で熊野本宮大社(&大湯ノ原)まで。そこからバスで湯の峰へ向かい一泊(約20km)。

四日目:湯の峰からバスで高野山へ行き、そのまま電車と新幹線で帰宅。

 

今回は熊野三山(熊野本宮、速玉、那智)をどの順番で回るかで先ず悩みましたが、最終的に夜行バスで行くにあたり、停車駅が新宮駅ということもあり、自動的に速玉大社から回ることになりました。そして本宮は古道の終着点で翌日には高野山に行きたかったので、初日で速玉と那智大社のエリアを回る、という段取りになりました。

 

初日はそれほど詰め込んだ予定ではなかったのですが、問題は三日目、

歩く行程が20kmくらいあって、果たして間に合うのか心配でした。

平坦な舗装道路であれば1km約15分くらいの時間ですが、上り下りのある峠道を20kmとなると全く予測が付きませんでした。一応ネットや地図で距離と時間、ルートはチェックしていたものの、自分の体力、行ったことのない道、実際にどれくらいかかるのか、シュミレーションしつつ、あとは実際に行って歩きながら誤差を出して修正していこうと考えました。

 

今回の準備で一番必要だったものは、靴です。トレッキングシューズを持ってなかったので、アウトドア関連のお店に行って、店員さんとやり取りしながら「舗装道路・石・木の根っこ・砂利・水に濡れた道など、いろんな道を歩く」という条件にマッチする靴を選んでもらいました。

 

単純に靴底が厚い物をイメージしていたのですが、「荷物が少ないならもう少し靴底が柔らかいものの方が良い」ということで、歩幅を狭くする歩き方を教わりつつ、具合の良さそうな靴を購入しました。ついでに靴下と紙の地図と温度計付きのコンパスも。

 

 

さて、夜行バスに乗る当日ですが…計画1週間前くらいから天気予報を見ながら、台風が近づいていることもあり、「初日は雨かー」と思っていたのでレインコートとザックカバーを用意していました。

 

ですが、注意警報が出るほどの大雨になり、付近の県であれほどの豪雨になるとは思っていませんでした。一応、二日目には曇りのち晴れとなっていたことや、現地の宿泊先に電話で天気の状況確認をした上で、行くことを決めました。

 

そして、案の定パッキングで詰めこみがちになって時間が押すパターン(笑)

 

軍手も忘れず買って電車で、新宿のバスターミナルまで。

何とか5分前には着いて無事乗ることが出来ました、危うし。

 

夜行バスに乗るのも初めてだったのですが、三列シートでスペースは確保されています。が、高揚感もあるのと、決して寝やすいわけではないので、やはりあまり寝られなかったですね。幸い、一日目は時間に余裕のある予定を組んでいたので、のんびり行こうと思いつつ、バスに揺られてウトウトしながら新宮駅を目指すのでした。

 

今日はこの辺で。

vol.49 「毎日がアルツハイマー」

f:id:wondervogel:20180712183242j:plain

シネマ・チュプキさん、小じんまりしてて、落ち着く

こんにちは。

 

今日はドキュメンタリー映画「毎日がアルツハイマー」を観たのでその感想を書いていこうと思います。

 

今回は田端にあるCinema Chupki(シネマ・チュプキ)さんで観ました。

丁度14日から「毎日がアルツハイマー・ザ・ファイナル」が上映されるので、それに合わせて1と2を同時上映していました。

 

映画館というと大きな箱を想像しがちですが、チュプキさんは固定座席15席、車イス席3席、補助席を出しての最大25席というミニシアターです。ですが、日本初のバリアフリー映画館であり、ユニバーサル・シアターということで視覚障害聴覚障害のある方にも映画を観たり、聴いたりできるような設備とサービスを備えています。(一部引用wikipediaさんより)

 

丁度おなかが空いていたので、「近くにパン屋さんはありますか?」と聞いたところ、「サンドイッチ屋さんがあります」ということで行きました。FILL'S(フィルズ)というサンドイッチ屋さんで、旨そうなサンドイッチが並んでありました。ここは17日にリニューアルしてもっと美味しくなるようなので楽しみです。ちなみにチキンカツサンド食べました。食べ応えのあるサイズでおいしかったです。

f:id:wondervogel:20180712183313j:plain

FILL’Sさん、ウマいもんセンサーが反応しまくり


 

さて、映画の感想です。

1と2を30分の休憩を挟んで観たのですが、1は93分、2は50分だったので、ダレることなく観れて良かったです。扱っているテーマから重い内容だと思われる方もいそうですが、実際はパッケージデザインのように基本的に明るいトーンで描かれているので思わずこちらも笑うような場面も出てきます。

 

1は監督の母親が認知症と診断されてからの話、2は老人精神医学のイギリスのヒューゴ先生に監督が会いに行き、それを実践するケア施設を訪れる話がメインになっています。

 

映画ではPCC(パーソン・センタード・ケア)という概念が出てきます。この考えを提唱したキッドウッド教授によると、「認知症を持つ人々の行動や状態は、認知症の原因となる疾患のみに影響されているのではなく、その他の要因との相互作用である」(引用:毎日がアルツハイマー・ザ・ファイナルのHPより)とのことで、重要とされる5つのアプローチが登場します。

 

1、脳の認知障害

2、健康状態

3、個人史

4、性格

5、社会心理学

 

PCCではこれら「全ての」アプローチを行う、ということでした。認知症といっても人によって本当に違いますし、状態の変化も日々変わってくるわけで、そうした「予測不可能」な中で、ひとつひとつ「探偵のように」どうしたら良いかを考え、実践する、ということでした。

 

映画内で印象的だったのが、「常識的な対応をすれば誰にでもできるというものではなく、実際には高度なスキルを必要とする仕事」だとイギリスのケア施設の看護師が話をしていたことです。

 

それと「虐待」は、最初から悪い人がするものではなく、普通の人が癇癪を起し、耐えきれなくなってある日怒りを爆発させ、その先に虐待が起こる、という話も耳に残っています。だからこそ、介護をする人もケアが必要なんですね。

 

この辺は介護の資格を取る時や研修でも折に触れて出てくるところです。

 

なぜ僕がこれを観たかというと、今現在、仕事として介護士をしているからです。

 

その前職は「ツリー&ツリー本郷真砂」で学童保育カフェスタッフ(過去記事にその時の様子がありますが、ほとんどコーヒー紹介してます笑)だったのですが、地域のいろいろな人が来れる場所として機能していたので、ちょうどそこに近くの小規模多機能施設「ユアハウス弥生」からお年寄りの方も来ていて、何度か接しているうちに「そう言えば、僕は介護的な知識も技術もないな」と思ったことがきっかけです。

 

そこの小規模多機能を運営しているところで、介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)という、介護の一番窓口になっている資格を取り、いろいろな施設を観ながら、「終の住処」と呼ばれる特別養護老人ホームで働くことを決めました。終の住処というものの、ターミナル(終末期)の方は多くはなく、いわゆる要介護度や認知症の度合いの進んだ利用者さんが生活する場所、です。

 

といってもキャリアとしては1年ちょいの浅いものですが、上司からの評価としては「接遇は良い」という評価をいただいています。あとは同僚からは夜勤のときに僕と一緒になると、「比較的利用者が落ち着いて寝ている」ということも言われました。

 

普段キャラが薄いのと、あまり余計な気配を立てないようにけっこう気を遣っていることの結果、ということにしておきます(笑)

 

最初は時間に追われることも多かったのですが、その辺も何とか慣れてきました。が、この辺の見通しの甘さはまだまだあると思います。段取りと手際の良い人は本当に仕事が丁寧で、早いです。

 

あと、僕なりに一番注意を払っているのが、不穏になった方、もしくはなりやすい方への接し方です。不穏になること自体は問題ではないのですが、その後の生活に影響が多少は出てくることを考えると、できるだけ落ち着いて過ごしてもらえるように接したいものです。そういう時、僕はかなり集中した感覚で繊細に利用者さんの様子や言葉を感じながら、やり取りをしています。結果から言うと上手く行く時もあれば、行かない時もあります。

 

けっこうMPを消費して疲れますが、できるだけメンタルケア的な部分は丁寧にやっていきたいです。僕の場合、恐らく生きていく中である種の観察力に優れている節があり、そうした部分が、学童保育の時にも活きたことで気付いた部分です。それと比較的語彙が豊富なので、比較的年齢の区別なくコミュニケーションを取ることができたことも役に立っています。ほとんど無意識に、心理学でいうところのミラーリングとかやっていたみたいです。なんだか末っ子ここにあり、みたいな感じがしますが…。

 

もっとも、誰とでもスムーズにできるわけではなくて、相性的に苦手な人ももちろんいまし、利用者さんのその時の状態によってはキツイときもあるので、決して万能な能力というわけでもないようです、残念。

 

と、いう感じで日々四苦八苦しながら、周りの人たちに助けられながら、どうにかこうにかお仕事しています。

 

14日からのザ・ファイナルを楽しみにしつつ、24日にヒューゴ先生の来日トークイベントがあるので、行ってきます。映画より先に予約しちゃいました(笑)

 

 

今日はこの辺で。

 

vol.48 horizon labo

f:id:wondervogel:20180711203527j:plain

horaizon laboさんのコーヒー豆の袋、カッコいい

こんにちは。

 

前にホライゾン・ラボさんのコーヒー豆を飲んだので、そのことについてお話をしたいと思います。

 

「16歳の焙煎士」というフレーズとともに、今ではすっかり名前を知っている方も多い響さんのコーヒー。僕も話だけは聞いていたのですが、その頃には既に多くのお客さんがお店に訪れて、その対応で少し大変だったようなので、ちょっと遠いところから見守るような気持ちで、その後の話が出てくるのを待っていました。

 

それに何より、彼が毎月決めるテーマとコーヒーの味のイメージが、果たして自分にも感じることができるだろうかという気持ちもあって、二の足を踏んでいたということもあります。

 

あとはメディアで取り上げられると、大なり小なり強調されるので、僕の中でそのイメージが大きくなり過ぎていたのもあります。

 

でも、やっぱりきちんと正面から自分なりに受け止めたいと思って、飲んでみました。

 

その時に買った豆はエルサルバドルの深炒り、テーマは「痕跡」でした。

以下、その言葉を引用させていただきます。

 

”テープを剥がしたときや外に長く置いてある

石をどかした時に現れる、そのものの痕跡。

それはまるで、その物が長く止まっていたいという

想いのようで愛おしい気持ちになる。

口に含んだのちの、味わいが留まりたいとしている

存在感を楽しんでいただけたら嬉しいです。”

 

焙煎された豆は綺麗で、ドリップして飲んでみるとその後も味が雰囲気を残す、良く焙煎されたもの。そのイメージは「テープ」や「石」といった身近なものから出発して、それをリンクさせる「痕跡」という言葉。

 

あくまでも僕なりにですが、「こんな感じかな」というものを見つけることができました。

 

コーヒーと言葉を交互に比べながら、僕は不思議な感じがしました。

 

 鋭い感性なんて書かれていたので少し気後れしていましたが、そんなこと関係なしに、いつの間にかすっと隣に立って「これはこういう感じなんだよ」と話しかけてくるような、そんな素朴な優しさが染み出てくる一杯でした。

 

響さんが観る世界を、コーヒーを通して伝えてくれているのでしょう。

 

 

きっと響さんの中のいろんな要素が繋がってこのコーヒーはできていて、それが魅力になっているのだと思います。

 

 

ふと気づけば、どこまでも等身大の彼が、僕の中にいました。

 

 

今日はこの辺で。

vol.47 一風変わった話

こんにちは。

 

今回は、自分が過去にやってきたことについて書きたいと思います。

 

大学生の時に歴史学(日本近現代史)を専攻していました。

 

が、坂本竜馬とか、メジャーな興味はあまりなかったです。

 明治~昭和初期の「婦人雑誌に載っている家族写真」を卒業論文として、書きました。と言っても史料が少なくてお粗末な代物だったですが、傍らで小学校4,5年くらいから高校卒業までの10年間やっていた「お神楽」についても調べていました。

 

基本的に僕は「調べ魔」です。

 

気になったらとにかく調べます。それも自分が納得行くまで。

古墳の発掘に行ったり、古文書(江戸時代)の解読も勉強してました。

 

なので、コーヒーについても「研究者」っぽいスタンスであれこれとやっている部分はあります。

 

「調べ魔」の力が最大限発揮されたのも、大学生のときでした。ゼミの指導教授が「軍事郵便」という、戦時中に兵士とその家族や学生が書いた「手紙」の研究をしていて、その解読という、ゼミの活動に参加したときです。

 

3つ上の先輩が遺族に辿りついたという実績もあったので、それに追いつけということで、手掛かりを得るために大学の図書館、国会図書館、都立図書館、自衛隊の戦史史料室などなど、いろんなところに行って、手紙の部隊名を頼りに部隊がどういう風に行動したのか、その足取りを追いました。

 

途中で、部隊の再編成があったりしたものの、部隊行動のけっこうな部分が分かったのですが、肝心の当人が生きて帰ったのか、についてはかなり雲行きが怪しかったです。

 

なぜなら、部隊が「インパール作戦」に従事した記録が残っていたからです。

このことが分かった時はけっこう衝撃でした。

 

多数の戦死者を出した作戦の中で、果たして無事に帰ってくることができるのか?

 

正直、微妙だなーとは思いました。ここでまず一手、手づまりです。

でも、反面とにかく思いつく限りの可能性を当たって見なければ分からないとも考えていました。

 

なので、見方を変えて、記載されている住所から当たってみるという、今なら「荒技」な方法を採用することにしました。自分でもいくつか考えていた選択肢の内、わりと最終手段な「奥の手」でした。実際今はできないと思います。

 

総当たりで調べる中、やっとこさ差出人に行きつくことが出来て、分からなかった部分の詳細も明らかになりました。

 

インパール作戦に従事して、なんと帰ってきていました。

 

しかし、その後に関しては、不明でした。差出人は家族ではなく、全然関係ない女学生で、戦地に赴く兵士を励ますために手紙を書いていたからです。今、考えるとちょっと不思議な関係性ですが、その兵士さんはかなり筆まめで知的な方だったので、100通と少しの手紙をやり取りしていました。

 

その後、分かったことも少しはあったのですが、思うような結果は出ませんでした。

 

でも、当初考えていたよりも多くのことが分かるようになったので、調べて良かったと思います。もちろん、手紙は検閲されているとはいえ、基本的には私的なものでもあるので、その面を考えると全面的に良いことをした、とは思っていません。

 

前の時も、この時も、結果として遺族や関係者が協力的であったから良かったですが、そうでなければ成り立たない、デリケートなものでもあると思います。

 

ですが、様々なきっかけで持ち主の手を離れてしまった手紙が、何も知らない学生に、当時の状況を教えてくれるきっかけになったことだけは、価値のあることだと思います。

 

ちなみに、その後、前回の実績とこの時の調査結果を集めて大学の出版会から書籍化されたのですが、当初編集委員だった僕は、同期の委員の相方が書いた文章に怒って書き換えて送り返し、そのまま喧嘩になって放り出してしまいました(笑)

 

数年して、本当に未熟だったなと反省しました。今なら絶対にそんな横暴なことはしないでしょうが、今でもやっぱり苦労して学んでいる部分です。

 

あの時できなかったことは、その後折に触れて嫌というほど何度も再体験することになるとは、当時の僕は思っていませんでした(苦笑)

 

とにもかくにも、「調べ魔」の僕が言えることのひとつは、「実際に足を使って(体験して)調べたことは説得力がある」ということくらいです。

 

研究者は足使って体張ってナンボ。

ということで、今後はコーヒーに限らず、割と手広く書いていこうと思います。ちょっとマニアックな話もできるだけ分かりやすく、楽しく、面白く、「掌にすっぽり収まるように」書けるようにします。

というお話でした。

 

今日はこの辺で。

vol.46 深炒りに挑戦

f:id:wondervogel:20180704211044j:plain

熱源がたくさん(笑)

こんにちは。

 

暑いですね!

 

と、ゆーことで

 

アイスコーヒーを飲みたくなったので、深炒りに挑戦してきました。

 

 

今回のお題豆は、前回お世話になったデキル子、コロンビア・ナリーニョと二、三回目くらいで浅炒りで挑戦したキリマンジャロタンザニア)です。

 

このコロンビア・ナリーニョは、ナリーニョの中でも優秀なナリーニョらしく(語彙

 

どのレンジの焙煎でも、持ち前の良さを発揮してくれるらしいです。

 

キリマンジャロは、なんとなく浅炒りのイメージが強かったので、あえてのチョイス。

 

ここで、スタッフの青山さんからアドバイス

「コロンビアはどの焙煎の深さでも良いですが、キリマンジャロはあまり深すぎると持ち前の酸味が弱くなってしまうので、あまり深くしない方が、豆に合ってると思います」

 

なるほどー

 

ちなみに、今回は副題として「一回目の焙煎を失敗しない」ということも挙げておきます、やっぱりやる以上はロスが少ない方が良いですからね。失敗しても飲むんですけどね…。

 

 

さて、ということで、まず初めにどの焙煎レンジでもイケるナリーニョくんから始めることにして、次にキリマンジャロをそれよりも「浅め」に仕上げる、という計画を立てました。賢い。

 

実際、前に深炒りにチャレンジした時に体験したのですが、2ハゼが始まってからの豆の変化が早くて、ウッカリしているとあっという間にシティ→フルシティ→フレンチへと変わってしまうんです。(フレンチの後はイタリアン)

 

今回のねらいは、コロンビアはフルシティ~フレンチの間くらい、キリマンジャロはシティ~フルシティ未満くらい、といったイメージで、と青山さんと話しながら決めていきました。

 

暖機から初めて、豆を投入するまでが一番緊張します。焙煎機の各部のチェックも忘れずにっと。

 

ふと、隣を見ると、青山さんが5kgの窯で焙煎の作業や、記入をしながら僕の方も観てくれています。す、すごい…。

青山さんのほうの焙煎が終わって、豆を手で掻いて欠点豆をピックしています。

 

僕:「速いですねー」

青山さん(以下、青):「いやーこれでも遅くなった方です」

僕:「マジですか」

 

しばらくして温度が目安に上がって、火を落として、投入温度になって豆をザーッと入れます。投入口確認して閉めて!ストップウォッチポチっと押しつつ!同時に再点火して!記入して!

 

何とか手はず通りに進めました、ホっ。

 

ガランガランガランと豆が規則正しく鳴っているのがいつも心地いいです。至福。

 

豆と温度計を交互に観ながら温度の上がり具合や豆の変化をチェックします。

 

しばらくして温度の上がり具合がダレてきたので、温度を上げてバルブを少し開けました。

豆が良い具合にゴールドに色付いてきて、さらに茶色に進んでしばらくすると、

 

パチッ、パチッと1ハゼが始まったことを教えてくれます。

 

今回は2ハゼが終わるかなーくらいからが出すタイミングなので、まだまだですが、ウズウズしてきます。煙の量も多くなってくるので、バルブももう少し開けます。

 

1ハゼが終わってしばらくすると、小さく細かくパチチ…と音がしてきて、2ハゼの開始を教えてくれます。パジジジジジと小さくたくさんの音が聞こえてきました、線香花火みたいで綺麗な音なんですよね。

 

で、タイミングを見てからのー、

 

リリース!ザザー

 

ホッとしました。

 

すかさず、2回目の準備に取り掛かります。

青:「次は今のよりも手前で終わるくらいです」

僕:「了解です」

 

自分の豆にも欠点豆がないか確認してみました。

僕:「あ、石が1つありました、他はちょっとだけ」

青:「この豆はそんなにありませんが、やっぱり丁寧に確認して取った方が良いですね」

 

f:id:wondervogel:20180704210210j:plain

※石や、欠け、未成熟など

そして、1回目同様、緊張しつつタイミングを待ちます。

 

投入温度になりザザー。

「1回目よりも温度の上がり具合が少し遅いですね」

ここで青山さんから提案が、

「一回目の時を見て分かりますが、途中で温度が下がるのを見越して、火力を少し上げておく、という手もありますよ」

「なるほど」

 

火力を少し上げて、バルブも少し開けます。

 

温度上昇の具合を観ながら、上げ過ぎていないか確認、具合は良いみたいです。

 

しばらくして1ハゼが過ぎ、2ハゼが始まりつつあります、つまりそろそろ出すタイミングです、緊張してきました。

 

パジジジッパジジジ…

 

ん?ここか!

僕「出しますね!」

ザザー

 

青:「良い感じです」

僕:「ありがとうございます」

青:「今回は1回目も失敗せずに終えられて良かったですね」

僕:「ええ、本当に…」(笑)

 

出す時めちゃくちゃ緊張しました。

そしてピック

僕:「こんなもんですか?」

青:「そんなもんですね、ちなみにこの豆は片方の端が少しくぼんでいるのが特徴です。味見ますか?」

 

f:id:wondervogel:20180704210412j:plain

よくみると端が少しくぼんでいる

もちろん!と、いうことで

 

レッツ・カッピング

 

f:id:wondervogel:20180704210432j:plain

ワクワクする瞬間

青:「本来は、現地に行って豆の全ての味を一度にたくさん効率よく見るのがカッピングなので、こういった深炒りでカッピングはあまりしないのですけどね」

僕:「あーそっか、というか、ズズーって吸うとけっこう苦みが吹き付けられますね」

青:「僕もあまり激しくズズーと吸いません」

 

でも、なかなか良い感じにできているみたいでした。

青:「カッピングでこれくらい味が出ているので、お家に帰ってドリップしてみるともっとおいしく感じると思いますよ」

僕:「マジですかー楽しみです」

 

ということで、今日はこれにて終了。

 

この後、話していると、

熊野古道をスニーカーで歩いでボロボロにしたとか、

タイのコーヒーもウマイとか、

パーラー江古田さんのパンがヤバいウマいとか、

鈴木理策さんの熊野の写真の話とか、

近藤さんがバイクに乗っているとかとか、

 

自分が好きだったものの話が他の人たちからたくさん出てきて、とても幸せな気分になりました。

 

この日レンテン族の紺色の服を着てたこと、当時江古田の隣の桜台に住んで、写真作品の保存バイトとか実家が写真館だったこと、バイクにも乗っていたこと、

 

そこにあったことさえすっかり忘れてしまったもののように、日々の生活の中で埋もれていったはずの記憶が、一度に溢れ出てくるようでした。

 

かつて自分の手に馴染んだものたちが、再び自分の掌にすっぽりと収まってくれるような、そんな手触りの心地よい記憶たちを思い出すことができた、最高の1日になりました。

 

閉まったきりになってすっかり忘れてしまった宝物を、ただただありのままの自然な振る舞いで引き出してくれたいつか珈琲屋さんのスタッフさんたちに、いつも感謝と尊敬をしています。

 

今日はこの辺で。

vol.45 より道の灯

f:id:wondervogel:20180704101551j:plain

※幸田さんの作品、遠くから観るとまた違う絵に見える、不思議。

 

こんにちは。

 

急な暑さでへばったのと、今週末から熊野古道へ行く準備に追われてすっかり更新し忘れていました(笑)

 

お伊勢さんには中学生だった時、丁度2000年祭で、お神楽を奉納してきたので、いつかは熊野に行こうと思って3年くらい越しでようやく現実化しました、な、長い。

 

なかなか、旅程を組みなれていないせいで、大変でした。

 

と、そんな話は置いといて、

 

今回は以前行った私立珈琲小学校さんに隣接するLoko Galleryさんから個展のDMが届いていたのでフラフラ行ってみました。

 

幸田千依さんという方の『より道の灯』です。

 

入ると大きな絵が目に飛び込んでくるんですが、なんか不思議な絵なんですよね。

 

遠近感がぐにゃっとしていたり、あるところは濃く塗られていて、また別のところは淡く塗られていたり。近づいたり、遠のいたりしていました。

 

どこかひとつに視点があるという感じではないのと、サイズも大きな絵なので、自然と絵の周りをウロウロとする感じです。

 

で、階段を上がってみるとまた違うところに視線が行ったりして、ますます

 

???

 

と不思議な感じです。

 

他の作品も、同じように視線がいくつかあって、段々ウォーリーを探せみたいな感じで

新しい視点はないか探してました、楽しい(笑)

 

他にも作品があって一通り観終わって、隅っこの小さな絵が気になって、

 

あんまり他に比べると視点は多くなさそうだけど、まさか隠し視点が?

 

と、思ってかがんだりしていると、

 

幸田さんが来て、

 

かがんだりしてて、「あ、(視点を)探してる」と思ったんで声かけました

 

て言われました(笑)

 

幸田さんに聞くと、自分が印象に残った風景をミックスさせて描いているとのことで、

 

つまり頭の中で実際に見た風景がいろいろと合わさって一枚の絵になっている、ということでした。

 

「描いている最中は一か所に集中して描いたりもするので、一見すると視点はバラバラなんですが、出来上がってそれが一枚の絵としても観れるようにしています」

 

「あー、だからあのバスのところみたいに塗りが濃いところもあったりするんですね、結果としてできたものだと」

 

「そうですね、サイズも大きいので近づいたり遠くからみたりしながら描いているんですが、描くときは近づいているので、そういう違いも出てきます」

 

頭の中にあるいくつかのイメージを合わせて、それを取り出してきたかのような絵。

 

で、実際の工程では近づいて描くから、ムラや、違うイメージと馴染んでいるところ、ツギハギっぽくなっているところもありつつ、遠くから観ると一枚の絵にとしても観れる。

 

不思議な絵で面白いので僕は好きです。

 

印象的だったのが、「観る人がいろんな視点をその人なりに見つけて楽しんでほしい」

と言っていて、きちんと観る人のことを考えながら描いている方なんだなーと思いました。

 

料理もコーヒーも作品も、受け手がいて成り立つものですよね。

そういうことを考えながら作るって素敵です。

 

さて、観終わってせっかくなので、あいこうけいこさん作のレアチーズケーキと水出しアイスコーヒーを飲んできました。ケーキにはルバーブという日本でいうフキみたいな、そのままでは苦くて食べられない系の野菜を使ったジャムが添えてありました。

ルバーブでジャムを作るって、面白いですねー、日本でもフキでジャム作れるのかなー。

 

f:id:wondervogel:20180704101738j:plain

※あいこうけいこさんのお菓子はいつも発想に驚きます。

 

このあとテキサスから家族連れの方がやってきたので、家族写真を撮って「デビルズ・エッグ」を母ちゃんがよく作ってくれたよという話をして帰りました。簡単なのでみなさんもゼヒ。

 

今日はこの辺で。

vol.44 カッコいいコーヒーの淹れ方

こんにちは。

 

随分前に行った「コーヒーハウス ニシヤ」さんについて書こうと思います。

 

渋谷の青山学院大学のキャンパスから並木橋交差点へと抜ける道を少し歩くとあるお店です。

 

このお店を知ったのは人づてなのですが、そのエピソードが印象深くて行ってみようとなりました。

 

・牛乳パックを取り出すときにクルッと回す。

エスプレッソマシンの抽出器具を「スーっ」と引いて、一回「カンッ」と軽く叩く。

・動作に一定のリズムがある。

・カウンター内を何歩で歩けるか決めている。

 

などなど、なんというか所作にニシヤさん流の美学があるらしく、話を聞いているうちにすごく気になりました。

 

店内はカウンター席で、店の中向きか外向き、なんですが何となくカウンター席は常連さんの席かなと思って外向きの席に座りました。

 

しかし、これでは所作は見れません。

 

注文したのはブレンド、ここでは全てエスプレッソマシンで抽出を行っているようでした。そう、エスプレッソマシンでも調節すればそんなに濃くないものを飲めるんです。

 

で、やっぱり気になるので、何となく窓越しにボーっと見ていると、やはり作っている動きに一定のリズム、というか流れがあって、静かで淡々としていてカッコいいんです。

 

動作のポイントが決まっていて、キマッてます。

提供する時も、キッチリしている感じがしました。

 

なんでそういう風にするんだろうと考えたんですけど、たぶん「カッコいい」からです。

 

思えばバリスタのイメージといえば「カッコいい」みたいなところがあって、そういう動きのひとつひとつがお店の演出にも一役買っていることを考えると、仕事をする人の動きも大事なんだなーと思いました。

 

ここでは様々な「バリエーション・コーヒー」も飲めます。カクテルやラテなどたくさんあるのでいろんなコーヒーを楽しんでみたいという方は是非どうぞ。

 

今日はこの辺で。