トリしらべぇ。

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vol.78 とあるコーヒー

こんにちは。

 

今日はひとつのコーヒーについてごく個人的なお話をしようと思います。なので、オチはありませんし、「抜けた先」もないです。あえて言うならこの先は「分かりません」というお話です。

 

今回の内容は今までにも話したことのあるものでもあります。

 

今までいくつかコーヒーに関すること、知識だったり焙煎だったり、の活動を続けてきたのですが、その中でも割合大きな関心ごととして、僕がかつて教わったドリップを再現する、ということがありました。

 

というのも、僕は絵にかいたような不器用さでして、かつせっかちなことも災いして落ち着いて、キチンと教わったことを教わった通りにする、ということが中々難しかったのです。

 

なので、せっかく自分が感じる範囲で、「とってもおいしくてそれまで飲んだことのないような素敵なコーヒー」だったものを、なかなかキチンと習得することができませんでした。

 

焙煎までやるようになって何をいまさら、ということでもあるのですが、少なくとも僕にとってはそうしたある種のアンバランス感がものすごく引っ掛かっていたのです。

 

そうした「至らなさ」を抱えながら、何かをするのはやっぱりちょっとしんどかったです。反面、それが自分が動く原動力になっていたことを思うと、それはそれでかけがえのなさがありました。

 

で、二週間くらい前に、「できるかな」と、ふと思い立って抽出をしてみたら、実にあっけなくできてしまったんです。

 

『お茶のようにすっと飲めて、コーヒー特有の風味が存分に鼻を抜けて余韻を残す、どこまでも上品なあの懐かしくて新しくて優しい味』

 

森さんから教わったコーヒーの抽出を、僕なりに表現するとこういう言葉になります。

 

きっと他の人ならもっと早く、見たものを見たままに再現できると思いますし、それだけシンプルなもののように思います。

 

それほどまでに簡単なものを、僕は長い長い間、できないできないと言って悩んでいました。実に間の抜けた話ですね。

 

ただ、それだけシンプルなことであれば、もっと自由なものでもあるはずで、時代によって変化し続けるもので、そこがコーヒーを好きになる人を魅了してやまないものになっているのかなとも思います。少なくとも僕にとっては。

 

なので、これからも折に触れてコーヒーには関わっていきたいですし、活動は続けていきます。それが何なのかはまさに「これから」ですし、僕はそれを見てみたいです。

 

と、まとまりは特にないですが、こういうお話でした。

 

今日はこの辺で。