トリしらべぇ。

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vol.59 「カメラを止めるな!」と「カメラを止めた人」

こんにちは。

 

ここ数日間、連日ずっとチケットが取れるか映画館に足を運んでいるのに観れない映画があります。それは「カメラを止めるな!」。

 

元々、7月の前半を終える頃にツイッターでふと見かけたのが始まりでした。

 

その時は、「あ、そんな映画もあるんだ」くらいの認識しかなく、ちょうど熊野に行ったりしていた前後だったので、さして情報を追っかけずにいたんです。

 

今にして思えば、ちょっと「ん?」くらいの「何か引っかかり」は感じていたのに、なぜその時にもっと調べて行かなかったのか、今となっては後悔しています。

 

なぜなら、「猛烈に観たい」からです。

 

しかも、タイミングの悪いことに、有名人がバンバン言及し初めて、既に平日ですら並んでいる有様、これまたタイミングの悪いことに、自分の休みの日ですら、他の用事と重なって観れない始末。

 

もうね、完全にセルフで「お預け」食らってハングリー状態です。

 

僕は基本欲求に素直なので、こういう、「自分がしたいことができない」という状態が、かなり嫌です。それも意図せずそうなっているのが尚辛いです。

 

僕と映画(映像)との関係を少し話しておきます。

 

「映画が好きです」な状態になったのが高校2年生の時、映像ということで、放送部に入りました。ちょうど一個上の3年の先輩達がソフトボールクラブが「部活」になっていく様子をドキュメンタリーチックに撮影して、それが放送部の大会で特別賞を取った「後」にひょっこり入ってきた、というタイミングでした。

 

でも、結局全然ほんとうに何もできずに卒業していきました。

強いていうなら文化祭のオープニング映像で雑用をしたくらいです。

 

あんまり大して役には立てないけど、文句は言うみたいな、典型的にこじらせていましたね(笑)

 

今思えば、本当にやりたいなら一人でもなんでもできることをやる、だったですね。

 

で、やっぱいつでも僕は「できなかった」という後悔が先に立つんですが、それで、大学1年のときに映画研究会に入って、ようやく1本分のシナリオを書いて撮影、までこぎつけました。

 

ですが、結局それを編集して「映像にする」ことをしなかったのです。

ちょうど、「こういうのをやりたい」ということで、当時同居していた兄やその友達に話をしていました。その時、その話を聞いたその友達が「お前のその話聞いてたら思い出した漫画があるんだけど今度持ってきてやるよ」と言って、そのコピーを持ってきてくれました。それはアフタヌーンコミックの四季賞を取った作品で「ゴーグル」という作品です。作者の名前は豊田徹也という方です。

 

当時、僕はその漫画を読んで絶句してしまいました。主人公の女の子の設定(背景や状態)が似ていて、かつ全体の話の作り方が僕のものより遥かに「面白かった」のです。

それを見てしまって、「自分のより面白いのあるじゃん!これでいいじゃん!」ってなって、出せなくなりました。

 

一生懸命、ミスドでウンウン唸りながらプロットや絵コンテを書いて、やっと撮影して、どうにか撮り終えて。

 

マンガと映画じゃ媒体違うんですけど、でもまとめられませんでした。全然足りなくて。

 

僕が欲しかった「空気感」が既に作品として「ある」ということが、悔しかったです。

で、結局映画を撮ることを辞めました。

 

元々、学校とかで人(同年代)と協力しながら何かを作る(する)ということに、すごい苦手意識があったので、「もう、一人で出来ることをやろう」となって、元々実家が写真館だったこともあって写真サークルに入ることにしました。

 

幼稚園生のころから暗室の酢酸の匂いを嗅いでお手伝いしていましたからね、風景を見慣れていることで、自分の中で参入障壁が低かったです。

 

とまぁそんな感じで、僕は「カメラを止めた」方の人なんですが、「カメラを止めるな!」の特報を見てから、なぜかまた、一人でも良いから「映像」を作りたいなと思っている自分がいます。あの映像には、そういう「熱っぽさ」があるように見えて仕方ないんです。

 

何でも良い、一人でできるもので良いから、とにかく作りたい。

そういう衝動が渦巻いています。

 

ものつくるのは、楽しいっすよね。

何でも良いけど、死んでも良いから「面白い」ものを作りたい。

 

今日はこの辺で。