トリさんぽ

行き先は、風まかせ

vol.47 一風変わった話

こんにちは。

 

今回は、自分が過去にやってきたことについて書きたいと思います。

 

大学生の時に歴史学(日本近現代史)を専攻していました。

 

が、坂本竜馬とか、メジャーな興味はあまりなかったです。

 明治~昭和初期の「婦人雑誌に載っている家族写真」を卒業論文として、書きました。と言っても史料が少なくてお粗末な代物だったですが、傍らで小学校4,5年くらいから高校卒業までの10年間やっていた「お神楽」についても調べていました。

 

基本的に僕は「調べ魔」です。

 

気になったらとにかく調べます。それも自分が納得行くまで。

古墳の発掘に行ったり、古文書(江戸時代)の解読も勉強してました。

 

なので、コーヒーについても「研究者」っぽいスタンスであれこれとやっている部分はあります。

 

「調べ魔」の力が最大限発揮されたのも、大学生のときでした。ゼミの指導教授が「軍事郵便」という、戦時中に兵士とその家族や学生が書いた「手紙」の研究をしていて、その解読という、ゼミの活動に参加したときです。

 

3つ上の先輩が遺族に辿りついたという実績もあったので、それに追いつけということで、手掛かりを得るために大学の図書館、国会図書館、都立図書館、自衛隊の戦史史料室などなど、いろんなところに行って、手紙の部隊名を頼りに部隊がどういう風に行動したのか、その足取りを追いました。

 

途中で、部隊の再編成があったりしたものの、部隊行動のけっこうな部分が分かったのですが、肝心の当人が生きて帰ったのか、についてはかなり雲行きが怪しかったです。

 

なぜなら、部隊が「インパール作戦」に従事した記録が残っていたからです。

このことが分かった時はけっこう衝撃でした。

 

多数の戦死者を出した作戦の中で、果たして無事に帰ってくることができるのか?

 

正直、微妙だなーとは思いました。ここでまず一手、手づまりです。

でも、反面とにかく思いつく限りの可能性を当たって見なければ分からないとも考えていました。

 

なので、見方を変えて、記載されている住所から当たってみるという、今なら「荒技」な方法を採用することにしました。自分でもいくつか考えていた選択肢の内、わりと最終手段な「奥の手」でした。実際今はできないと思います。

 

総当たりで調べる中、やっとこさ差出人に行きつくことが出来て、分からなかった部分の詳細も明らかになりました。

 

インパール作戦に従事して、なんと帰ってきていました。

 

しかし、その後に関しては、不明でした。差出人は家族ではなく、全然関係ない女学生で、戦地に赴く兵士を励ますために手紙を書いていたからです。今、考えるとちょっと不思議な関係性ですが、その兵士さんはかなり筆まめで知的な方だったので、100通と少しの手紙をやり取りしていました。

 

その後、分かったことも少しはあったのですが、思うような結果は出ませんでした。

 

でも、当初考えていたよりも多くのことが分かるようになったので、調べて良かったと思います。もちろん、手紙は検閲されているとはいえ、基本的には私的なものでもあるので、その面を考えると全面的に良いことをした、とは思っていません。

 

前の時も、この時も、結果として遺族や関係者が協力的であったから良かったですが、そうでなければ成り立たない、デリケートなものでもあると思います。

 

ですが、様々なきっかけで持ち主の手を離れてしまった手紙が、何も知らない学生に、当時の状況を教えてくれるきっかけになったことだけは、価値のあることだと思います。

 

ちなみに、その後、前回の実績とこの時の調査結果を集めて大学の出版会から書籍化されたのですが、当初編集委員だった僕は、同期の委員の相方が書いた文章に怒って書き換えて送り返し、そのまま喧嘩になって放り出してしまいました(笑)

 

数年して、本当に未熟だったなと反省しました。今なら絶対にそんな横暴なことはしないでしょうが、今でもやっぱり苦労して学んでいる部分です。

 

あの時できなかったことは、その後折に触れて嫌というほど何度も再体験することになるとは、当時の僕は思っていませんでした(苦笑)

 

とにもかくにも、「調べ魔」の僕が言えることのひとつは、「実際に足を使って(体験して)調べたことは説得力がある」ということくらいです。

 

研究者は足使って体張ってナンボ。

ということで、今後はコーヒーに限らず、割と手広く書いていこうと思います。ちょっとマニアックな話もできるだけ分かりやすく、楽しく、面白く、「掌にすっぽり収まるように」書けるようにします。

というお話でした。

 

今日はこの辺で。