wondervogelのブログ

不思議な渡り鳥こと、ワンダーフォーゲルのブログでございます。主にコーヒーなど、お茶にまつわることを綴っていきます。料理もそのうち書けると良いな~。

vol.19  どんなコーヒーでもキチンと淹れられるようになったことと、これからやったほうがいいこと(ひと月の振り返り、自己分析を踏まえての方向性)

こんにちは

 

 

 今回はいつもの飲食ネタではなく、少し僕のスタンスについてお伝えしていきます。

というのも「けっこう周りから誤解されてるんじゃ…」ということや、自分でも時折、「どっち向いてるんだっけ?」ということもあって、あらためて振り返って意識化するためにも備忘録として残しておきます。

 

 さて、僕個人のスタンスとしては、「知っている人にしか分からないよね」ではなく、「知らない人にどのように知ってもらうか」、ということをやっていくのが良かろうもんと感じています。

 

 例えばコーヒーであれば、例えば喫茶店全盛期のブルーマウンテンや、サードウェーブ盛んな今のそれにあたるゲイシャなどCOE(カップ・オブ・エクセレンス)といった、ある種の特殊化の頂点があったとすると、対面には十把一絡げの豆があります。

 

 で、じゃあ高いものが良くて安いものがダメかというと、それは別の話で、それぞれが別の方向性で良さをもっているわけです。試作機たるガンダムにはガンダムの、量産機であるジムにはジムなりの良さがあるわけです、風情といっても良いでしょう、ジムだってバリエーションがあるんです、ジムキャノンとかジムスナイパーとかジムカスタムとか。

 

 …女性には分かりにくい例えですね、ではミッキーがいればミニーちゃんもいてドナルドもいてグーフィーまでいるよってことです。そういえば女の子向けのキャラクターって割かし上下関係なく、みんないっしょ、横並び、みたいな指向性ありますね。

 

 とある方が「ディズニーランドみたいなところを作りたい」って、そうですかそういうことですか、今分かりました。じゃあ僕は「自分がディズニーランドになりたい」です。いやディズニーになりたくありませんが、御開陳、みたいな。

 

シーザーを理解するのにシーザーになる必要はないので、別にコーヒーになりたくはないです。

 

 話を戻しましょう。それらを僕は選択肢としてひとつでも多く保持しておきたいというのがあります。これは使う豆の量、淹れ方などについても同様です。ここまでが本来的に持っている僕の能力で、その過程として比較的特徴があり、掴みやすいので単一農園のモノを使って調べてました。でもそのままだと肝心の僕自身がイマイチ扱いにくいシロモノです。ブラウ・ブロしか乗れないシャリア=ブル、グーフィーしかいないディズニーです。フッキ―しかいないスラムダンク、堀川君しかいないサザエさんでも良いです。想像するだけで気が狂いませんか?

 

 なので、それをできるだけ広く知ってもらって、かつできるだけ多くの人にお手頃に飲み食いするための工夫をするところまで持って行けると、良い方に回っていくんだなと、この数カ月で思い知らされました。

 というわけで値段に関係なく美味しいコーヒーが淹れられるようにもなりました。これは自分の中ではとっても大きな進歩です。この点、周りの方々には御迷惑をおかけしつつも、非常に感謝しています。コーヒーをよく知らない人、よく知ってる人、僕と同じように試行錯誤している人、様々な人が接してくれて初めてできたことです。どんな豆でもどんと来い。これからはマシンでもポットでもやかんでも、何でも使ってコーヒー淹れていきます。実際に今は家ではやかん使ってます、ポット持ち出したんで。

 

これで必要なことの一端として、知識、技術などが一段上がりました。

もう片方は、例えば分かりやすさや見た目ということですが、ブログの表現含め、この辺はこれから改善します。

 

 

 基本的に職人的なことやこだわり的な思考には理解がありますし、折に触れてそれは言葉として伝えます。でも僕自信の本来の役割はそれを理解したうえで、それをエッセンスとして広めることかなと感じています。で、頑張って合理的な思考に橋渡して普遍化して現実化させる。両隣を意識して初めて成り立つことでした、ハイ。

これはどっちに寄り過ぎてもダメで、バランス取ることを意識しつつ、自分の役割の質を高めます。

 

 どこぞの錬金術師よろしく、「理解・分解・再構築」が僕の今生における役目のようです。手を合わせてもハトすら出てきませんが。

 ナチュラルボーンに中ニ病的マッドサイエンティストですが、邪眼は持ってませんし、封じられし右手も疼きません、そもそも封じられてねぇよ。

 

 心の中ではふつふつと「調べたい」という欲求があります。

 

 ですがそれだと三流もいいとこで、それをより良く再構築してこその「研究」なのでしょう。

どうすれば「より良いか?」ということに意識を向けてないといけないので、そこで自分との戦いが始まり日々苦労してます。

 

 

エル・プサイ・コングルー、今日はこの辺で。