トリしらべぇ。

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vol.9 画一化と特殊化のはざまで揺れ動く味覚の未来その3(コーヒーにおけるサードウェイヴ、あるいは特殊化の事例)

こんにちは

 

片やあるのが特殊化の流れ。

 最近の、というか、これまでもあった流れとして、またある種の揺り戻しの結果、「んなもんダセーよ、俺らに大事なのはセンスっしょ」ということで、己の直感とセンスでもって独自の技術体系を構築した職人肌でアーティスティックなイケてる人々が、むしろそういったインターネットデバイスに頼ることなく、あるいは一時の振り返りのために使うことや、メジャーや温度計を使うことはあっても、基本的には己の腕で日夜コーヒーを淹れるカフェや喫茶店がこれまでと変わらず、あちこちに存在するのが今時点での流れの一つにあります。

 実際問題、コーヒーの味は、おおよその基本を押さえればそこから先はフリーダムなわけで、一口に味といっても抽出の仕方による濃度や水などの影響で千差万別な部分もあるのは事実です。ドリップの話しをして「ワインのデキャンタみたい」と言われたことがありますが、ある種そうした違いでもあるのかなと思います。

 僕にコーヒーの淹れ方を教えてくれた先達曰く、「ドリップは基本的に味を加算するわけではなく減算で、例えば豆そのものが持っている味を10とすると、ドリップによってそれが5しか出ないのか、9.5までで抑えられるのかであり、だからこそ素材を活かそうと考えてキチンと淹れてあげようと考えている」的なことを話したことがありましたが、食材一般にも言えることなので、なるほど得心といったところです。まぁこんなこと言いながら当時は全くうまく淹れられてなくて、お豆さんの死屍累々の屍を築きあげた末に、今は以前より美味しく淹れているのですが。お豆さんごめんなさい、供養に飲みまくって幾度となく胃腸を荒らして口内炎できたのでもう成仏したでしょう、南無三。

 

祈りの時間が来たんで今日はこの辺で。