vol.8 画一化と特殊化のはざまで揺れ動く味覚の未来その2(コーヒーにおけるデータ化、あるいは画一化の事例)
こんにちは
さて、その日本独自の喫茶店文化、今は主に二つの流れがあるように見えます。
ひとつは均質化の流れ。
新宿某所の豆屋のおやっさんから話しを聞いて衝撃だったことをご紹介。
それは件のブルーボトルコーヒーが、ただのアルバイトをあれだけの数用意し、かつなぜあれほどまでにハンドドリップなのにも関わらず、それほど味がブレがないのか。
それはドリップの際の湯量、温度、時間などなど、とにかくあらゆる要素をデータ化し、定量化して、その莫大なデータをもとに、味のバランスを決め、再度、ドリップする人にフィードバックさせているという事実があるからです。今や一般向けに濃度計やデータデバイスも既に販売されているので、多分現場かラボで使っているのでしょう。
なんという、サイバネティクス!もはや攻殻機動隊よろしく、ある種の記憶の外部化をマシンやデータに大きく依存するかたちで、ブルーボトルはあそこまで急速に拡大していったわけです。
別に機械やデータを利用することは特別ではなく、日本の大手缶コーヒー会社のラボだって、国内の大手ロースターだって、大なり小なり利用してきたわけですが、「ハンドドリップをするアルバイトのに―ちゃん、ねーちゃん」とインターネットデバイスが≒ダイレクトに直結していることが驚異的なわけです。
将来的にブルーボトルコーヒーは電脳化したサイボーグを雇うのでしょう、恐ろしや。
んでもってそこの従業員のねーちゃんがある日突然「ネットは広大よ」とか言って突然いなくなったりして。
僕のゴーストが囁いているんで、今日はこの辺で。