トリしらべぇ。

いろんなところにアンテナを張って、情報の風をキャッチします。

vol.15 これまでの料理の歩み(ハムチーズサンドの回)

こんにちは

 

今回はハムとチーズのホットサンドです。

 

ベターながら、やはり定番なだけあって確実です。

 
 

またもや、慌てたのかお焦げが…でも美味しかったです。

 

この頃は、ホットサンドってやっぱいいよねと話していました。

 

ちなみに実家ではバウルという名のホットサンド用器具を使用していたので、「バウル食べたい」、「バウル作って」と固有名詞になってました。

 

なんなんでしょうねバウルって、動くんですかね。

 

師匠が帰ってくるみたいなんで、今日はこの辺で。

vol.14 これまで作った料理の歩み(チキンツナサンドの回)

こんにちは

 

 いい加減自分が作ったものを備忘録として残すという本来的なことをしていきたいと思います。

個人的に過去のものも掘り下げていきたいのですが、当面は比較的最近の先月から。

主に自分用まかないを取り上げます。

 

 当初は他イベントと併せての期間限定開催だったので、僕自身は来ていただいた方へ何もお出しする食事を作りませんでした。ですので、ハラヘッタ→ココキッチン→ツクレル!という実に素直に己の胃を満たすことをやっていたわけです。

 

前置きが長くなりました。

さて今回の一品「チキンツナサンド」

 

 

 先ず、お焦げが気になりますが…美味しかったです。

チキンツナということでやや淡白だったので、マスタードマヨを即席で作り塗ってあります。野菜はキャベツですが、よほど腹が減って焦っていたのでしょう、お皿に若干こぼれてますね。マスタードがパンチ利いてましたです。

そもそもチキンのツナがあることを知りませんでしたが、コンビーフがあるのでありますよねそりゃ。

 

 主にサラダなどに使ったりするのでしょうが、細かくほぐれているのでおにぎりやサンドイッチにも入れられます。冷製パスタなんかにも良いんじゃないでしょうか。

 

 包装が缶でなくパウチっぽくて携帯性に優れており手で開けやすく、その第一印象は

「アメリカあたりの軍用携行食にそういやあったな」でした。

あちらはアルバコア・ツナという品名のお魚のツナでしたが。

 

 登山などでもこの手軽さは発揮されそうです、野性味の演出に、袋に直にスプーンを突っ込んで食べることを強くおススメします、もちろんマヨなんか入れようものなら、後ろから鬼軍曹が飛んで来て「一合目からやり直し!」とばかりにランニングさせられます。

 

カラヒー!

 

丘まで走るんで今日はこの辺で。

vol.13 画一化と特殊化のはざまで揺れ動く味覚の未来その7(総括:僕にとっての画一化と特殊化とは何かを考えてみた)

こんにちは

 

 さて、前回までで足かけ6回ほどの記事を書きましたので、ここらで少しまとめようと思います。

 

 知っている人にとっては、何を今さらな内容でもあるのですが、個別具体的には、「それはそうなんだけど最近はこんなことも出てきたよ」ということもあり、その辺の「今」を自分の中でストックとして持っておきたいこともあって書き進めてきました。

 実際の現実では、画一化されたと思われていたものからまた新たな方向性が見出されたり、特殊化の果てにタコつぼ化しゆるやかな死が待っているかと思いきや、一部が突然変異し普遍化したりするわけで、そう簡単に二項対立で説明し尽くせるものでもないのが、なかなかダイナミクスを感じさせてくれます。

 

 改めて思うのは、食に関わることが人間にとって生きる上で必要なことである以上に、文化的なエッセンスとして大きな役割を担っているということであります。

 

 それは、個人の生活する上での価値基準の一つの指標でもあり、表現でもあるわけです。

だからこそ、facebookに日々アップされる食べ物の写真があり、cookpadのような集合知が形成さ得るのではないでしょうか。

 今回は取り上げておりませんでしたが、例えばWIREDさんの記事を読めば、もっと過激にコーヒーや料理を「イノベーション」の名の下に最新のテクノロジーを駆使して変化させている事例もあるわけで、こうしている今も、食を取り巻く状況は日々刻々と変わっているのだなと感じさせられていたりもします。

 ですが、特段そうした目新しさに目を奪われなくとも、例えば家庭の台所に立つ人はその時その時の旬の食材を取り入れたり、もっと美味しく食べてもらえるようにと何か調理法を変えてみたり、毎日「イノベーション」している現実があり、僕はそうした現実を忘れず、日常生活を淡々と生きることから始めたいなと思う次第であります。案外きちんと生活するって難しいことで、なかなかできるこっちゃないが故に。

 とかのん気に言ってると、あれが嫌い、これが食えないとかレジストされたりするわけですが、それもまた日常の妙でありましょう。黙って食えと言ってみたり、何かひと手間加えて試してみたりしながら、作る人と食べる人のささやかで小さな戦い(あるいは対話)がこんなにも大きなことであると振り返って気付かされたことは大きいです。

 

そして別に味覚に限ったことではなく、むしろ我々は日常的にある種の画一化と特殊化の波にさらされているわけでして。

 

 それは生物の進化の過程そのものであったり、人間社会の成立過程であったり、科学技術の発達であったり、宗教も多くの流派が成立していることを考えると、僕らは絶えずその流れの中であっちへフラフラこっちにフラフラしているのかなと思います。

 ゆく川は絶えずしてしかも元の水に非ずなのかもしれませんが、より大局を見れば、一筋の流れがそのうちに分かれたり、くっついたりしながら、そのうちに海洋に出て蒸発して雲になり雨になり、またどこかに落ちてを繰り返しているだけなのかもしれません。

 

 

 でもその底流(under current)には、案外変わらないものもあるのではないかな。

 

話も底をついたんで今日はこの辺で。

vol.12 画一化と特殊化のはざまで揺れ動く味覚の未来その6(日本酒にみる画一化と特殊化の事例)

こんにちは。

 

 さて今回は、米のデータ化の話です、といってもその加工品である日本酒についてですが。

ホントは米話の次にしようかと思ったのですが、ふとissaネタを思いついた勢いで緑茶の話しを先にしたので後回しになりました。しょーもな!

 

 日本酒の醸造といえば、米と水、手練れの職人、そして蔵に住み着く麹菌の造るまさにハーモニックな飲み物ですが、ここにもどうやらデータ化の流れはあるようです。

 それも従来の定量化とは違い、ブルーボトルコーヒーのごとく、職人の仕事ぶりなどもきっちりデータ化しているわけです。これまでのある種、門外不出で秘中の技みたいになっていた部分を「見える化」しちゃったみたいです、もうあらゆることがスケスケな世の中ですね!ゲフンゲフン失敬。

 こうすることで、より美味しいお酒を、より多くの人がそこそこのお値段で飲めるようになることを考えると、それはそれで良いのかなーなんて思っちゃいます。

 ただ、ちょっと寂しさもなくはない。僕の実家は曾祖父、祖父の奉公時代まで酒屋だった家で、減反政策も相まって蔵を畳んだことを聞いているからです。その後、祖父がなぜか写真館に商売を変えるというスゴイ転換をしたのですが。

 なので、今は無き実家にはそれらしき道具をしまいそうな納屋や、土壁の見える門があったのを今も覚えています。ちなみに祖母の生存時に聞いた酒の名前は「藤の露」でした、そーいやあったな、藤の木。

 とはいえ、昔ながらの職人が造っている酒蔵は今もあるわけで、関東だと千葉の「寺田本家」は有名ですね、独特の味で面白いものが多いですし、蔵構えも菌が住み着いていそうと聞きました、行きたいなぁ。

 

僕は違う意味でもやしもんなんで今日はこの辺で。

vol.11 画一化と特殊化のはざまで揺れ動く味覚の未来その5(緑茶にみるサードウェイヴ、あるいは特殊化の事例)

こんにちは

 

 さて、issaつながりということで、今回は緑茶に行ってみようと思います。

近所のカフェ「みせるま」さん(Mise Luma、もしくは見世流間)では静岡県牧之原市のお茶をプッシュしているようで、「つゆひかり」というのを飲ませていただきました。ヤバいウマかったです。恐らく僕のウマいもん喰い人生でこれほどはっきりと美味いと感じる緑茶は飲んだことがありません。まさにタイダルウェーブな衝撃!、緑茶のリバイアサンやー!くらいです、意味不明ですかそうですか。

 

 茶葉のお値段も50g1000円くらいで、一杯あたり5gで140ccをおおよその適正とした場合、さらに緑茶はそのまま2煎3煎淹れられて、栄養的にも3煎くらいまではほぼ変わらず、味でいうと、5煎くらいはいけるのではないか、とのことだったので、たくさん飲めることを考えるとむしろお得なのではないでしょうか。緑茶すごいな。

 湯温は60℃くらいが良いらしいです、それで二分待つとのこと。さらに水と氷で抽出する「水出し」や、おそらくゆっくり時間をかけて抽出するであろう「ウォータードリップ」もできるらしいので、冷温どちらも楽しめますね。

 

 そんな緑茶でありますが、コーヒー業界のようにある程度味が規格化されているのかと伺ったところ、どうもまた少し事情が違うようで。生産と加工の特定の結びつきが強く独自でやっていて、味などに関してはコーヒーのカッピングや焙煎のように特に足並みを揃えているような感じでもなさそうです。もちろん品評会などはあるようですが、この辺、日本特有のといったらいいのでしょうか。

 同じ品種でも違う名前で世間に出回っているものもあるというような状況になっているようです。また、無農薬ものの栽培も少ない?ようです。

 

 サードウェーブの流れもあるので、きっと僕が知らないだけで、もっと緑茶も色んな味があるのでしょう、新たなお茶への興味がムンムン湧いてきました。引き続き見つけていきたいと思います。

 

茶柱が 立ったんで 今日は この辺で(5・7・5調)。

vol.10 画一化と特殊化のはざまで揺れ動く味覚の未来その4(日本の米におけるサードウェイヴ、あるいは特殊化の事例)

こんにちは

 

 さて、前回までの話はコーヒーだったわけですが、今回はちょっと変わって農産物、特に米の話し。

 サードウェーブとは、生産者に対するリスペクトや地産地消的な意味合いが含まれているようなのですが、そもそもコーヒーってほぼ海外の生産物だよねってことで。じゃあ、日本ってそこんとこどうなってんのよと調べてみると、出てくる出てくる。

 殊、米に関してはコーヒーのスペシャルティと同じような動きがあるようです。194ちゃん(いくよちゃん)などはその代表例ではないでしょうか。僕個人としては事前情報として、日本の米のざっくり2大潮流としてコシヒカリササニシキ系統があり、「もち米の遺伝特性を引き継いで、生産高や腹もち、甘みの強さの効率に優れているコシヒカリ系統が多く、主にすし飯などに使われるあっさりとして、冷えても美味しいといわれるササニシキ系統は、稲倒れしやすく生産高的に不利で減少傾向にあるのだ」というようなことをネットや伝聞でイメージとして持っていたわけです。

 

 しかし、ササニシキ系統も負けず劣らず、生産者による創意工夫は日進月歩で進んでおり、粛々と品種改良がなされて立派にブランド化をはたしているわけです、全く知りませんでした。

あ、コシヒカリ系統ながらイセヒカリとかも食べてみたいですね。

 ササニシキのおにぎりを改めて食べてみて「なるほど確かに美味しい!」となっていた僕的にはこれは嬉しい知らせでした、194ちゃんは「ねじりほんにょ」とよばれるスパイラルなカタチをした独特の天日干しのようで、コーヒーでいうところのナチュラル製法(コーヒー豆を天日干しで乾燥させること)みたいなもんかなと思ったりしました。つまり、お値段は高いけど手間がキチンとかかってる分、それに見合ったモノ、ということなんだろうなと。もっともコーヒーの天日干しは独特の風味がありますが、米の天日干しってどうなんでしょうか、そこんとこはまだ調べていないので気になるところです、ていうか食べたいです、アイムハングリィ。

 

 しかもつい先週は、気分に合わせた米のブレンド「feeling」なるものまで登場したのを知って、ついにここまで来たかと思いました。詳しくは知りませんが、多分アイデア的にはあったかもしれないけど、お米マイスターとかサードウェーブなどの下地があって、ようやく出来る空気感になったのかなーと思いました。というかオシャレやなー。

 そもそもブレンド米というと、コーヒーと同じく最初は「なんか安いの混ぜてんでしょ」みたいなイケてない雰囲気があって、というかひょっとすると、一部には実際そうしてるモノもあったりかもしれず、ネガティブなイメージが醸成され不遇な扱いを受けているところに対して、「feeling」は、「そうではなく、コメにも色々な特徴があってそれを活かすのだ」ということをやっているのだろうなと思いました。まさにフィーリングー♪な米ですね。

 

フィーリング言い過ぎてDa Pumpのissaが来そうなんで今日はこの辺で。

vol.9 画一化と特殊化のはざまで揺れ動く味覚の未来その3(コーヒーにおけるサードウェイヴ、あるいは特殊化の事例)

こんにちは

 

片やあるのが特殊化の流れ。

 最近の、というか、これまでもあった流れとして、またある種の揺り戻しの結果、「んなもんダセーよ、俺らに大事なのはセンスっしょ」ということで、己の直感とセンスでもって独自の技術体系を構築した職人肌でアーティスティックなイケてる人々が、むしろそういったインターネットデバイスに頼ることなく、あるいは一時の振り返りのために使うことや、メジャーや温度計を使うことはあっても、基本的には己の腕で日夜コーヒーを淹れるカフェや喫茶店がこれまでと変わらず、あちこちに存在するのが今時点での流れの一つにあります。

 実際問題、コーヒーの味は、おおよその基本を押さえればそこから先はフリーダムなわけで、一口に味といっても抽出の仕方による濃度や水などの影響で千差万別な部分もあるのは事実です。ドリップの話しをして「ワインのデキャンタみたい」と言われたことがありますが、ある種そうした違いでもあるのかなと思います。

 僕にコーヒーの淹れ方を教えてくれた先達曰く、「ドリップは基本的に味を加算するわけではなく減算で、例えば豆そのものが持っている味を10とすると、ドリップによってそれが5しか出ないのか、9.5までで抑えられるのかであり、だからこそ素材を活かそうと考えてキチンと淹れてあげようと考えている」的なことを話したことがありましたが、食材一般にも言えることなので、なるほど得心といったところです。まぁこんなこと言いながら当時は全くうまく淹れられてなくて、お豆さんの死屍累々の屍を築きあげた末に、今は以前より美味しく淹れているのですが。お豆さんごめんなさい、供養に飲みまくって幾度となく胃腸を荒らして口内炎できたのでもう成仏したでしょう、南無三。

 

祈りの時間が来たんで今日はこの辺で。